ヨットハーバーと小さなアルバム
オダカズヒコ

ハーバーから出て行く
ヨットの数がたちまちに増えていく春
その背泳ぎのような船の航行に
季節の匂いがする

昼ごはんを食べ終えたマチコが
海を見たいといった
ぼくは灰皿を取り替える
ウェイトレスの赤いマニュキアに目を走らせ
それからマチコのスッピンのままの
唇に目をやった

ショートケーキの生クリームが
彼女のほっぺたに付いている

いまはもう想像もしない
明け方の彼女の寝息とその横顔
ベットサイドの窓際で
東から登り始めた 陽の光だけを頼りに
読書するぼく

ベットに横たえる
彼女のからだ以外に
馴染める存在がいない こんな朝
ふたりきりでいることに
こんなにも深い甘美な 孤独を感じることはなかった

逗子駅前は とても明るくって
コンクリートの真下に 埋められた地面の熱気が
街をムッと包んでいるような気がした

そんな春に 彼女と聴いた
カーラジオから流れてくる
DJのくだらないおしゃべりも流行の音楽も
今は記憶の切れっ端として 残っているだけ

彼女と出逢ったのは
ぼくがまだ青年期の暗いトンネルを
抜け出したばかりの
25歳
ふたりの間にはいつも
絡みつく舌の
濃厚なキスのような 会話があった

いったいあの頃 あの時
その日その一日を 彼女とふたりで
どうやって生きていたのか わからないほどに
思いだせないほどに

夢中になって何かを抱きしめようとしていた
指先や両腕の 強い抱擁だけが
そこにはあったような気がした

胸の一番奥に 大切しまい込まわれた
決してひずませることのない
心の中の小さなアルバムだけが ぼくの心の中に残り
今にも
動き出そうとしているかのようだ


自由詩 ヨットハーバーと小さなアルバム Copyright オダカズヒコ 2015-08-24 00:45:31
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