雨降亭
Debby

雨降亭はとてもちょうどいい位置にある。
駅から近すぎず遠すぎない
そういう場所にある。
わざわざ行った、というあの心地よい疲労感と
少し足を伸ばせば、というあの怠惰な感じ
その丁度真ん中にある。

雨降亭という名前からして
例えばあなたが洋食屋を始めるなら
そんな名前はつけないだろう
という感じがする。
それは架空の物語の中にある架空の洋食屋で
あなたの周りには実際のところそんな店はない
そんな感じがする。

八月になって店主は
「ちょっと休みます」という貼り紙を残して
どこかへ消えた。
でも、心配はまったくない
彼のフェイスブックを覗けば
真っ黒に日焼けした健康な中年男の顔を
いつだって見ることが出来る。

あなたと言えば生活は今ひとつぱっとしない
長期的に見ればそう悪くはない、という気がする一方で
やはり長大な負け戦ではという気がしてくる。
たくさんのことをやり残したまま
そのうちいくつかは致命的なことのようなことがするのに
あなたはやり残している。
たいしたことじゃないんだ。

雨降亭はとにかく鉄板に料理を載せる。
それが店主にとっての正義であるかのように
確信をもたらすあの音を立てながら
油と湯気といい匂いを撒き散らしながら
料理はやってくる。
あなたは待ちきれずフォークとナイフをいじったり
スマートフォンの充電残量に危機感を感じたりする。

何かが少しずつ変わっていくのを感じている。
取り残されている気もするし、置き去っている気もする。
でも、そういう違和感はもうずっとそのままなので
それがなくなったらどうなるのかすら想像できない。
いつの間にかそんなふうになってしまった。
ウェイターの手に持たれたあなたの皿が近づいてくるとき
どんな顔をして待っていればよいのか
あなたは未だにわからない。


自由詩 雨降亭 Copyright Debby 2015-08-10 01:54:21
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