独白
dopp

僕にとって今最も重要なイメージは、暗い星空の中を真っ直ぐにふわりと落ちてゆく灰白のクジラの死骸です。胸鰭は空気に押されて持ち上がり、細かな屑をその身から剥離させながら、そうしてそれらの屑よりほんの少し速く、モノクロのクジラが沈んでゆきます。白く澄んで月に至る階段のすぐ傍を撫でるように、巨大なクジラが白く濁った目をして通り過ぎます。僕はこのクジラを数年前にも目にしましたが、それは階段の上ではなく、その根をうねらせて先へと進む街路樹の群れに足を取られて地下へと引き込まれてからも歩き続けた所で、廃墟と化したショッピングモールが水底に沈んでいるのに気づいた所に、柔らかな粘土でそれらの建造物が構成されていたかのように歪ませ、潰しながら超然とより深く沈んでゆく彼の姿でした。その時僕の心を支配していたのは、遺伝子も情報子も弱肉強食の掟に従って拡散するという事であり、僕の一挙手一投足が、その動きを生じなかった未来に存在する全ての命を先取りして奪い取っていることへの嘆きであり、同時に弱者たる自己への偏執的な愛情でありました。それに気付かされた時、いや実際に僕のイメージに対する反応としてあらわれ出た情景詩を読まされてようやく気付いたのですが、僕はイメージを書き留めておく事を止めました。僕はその時に敗北を喫したのです。彼女のイメージは溶ける泡でした。分からないことは溶かして泡にするというのです。僕はその沈黙に対して自らの慎みの無さを恥じたのです。僕は皮肉にも彼女に対して敗北を宣言しました。それほどまでに自己の矜持を愛したのです。そして同時に書き溜めてきた全てのイメージを消し去りました。僕はこの事を後悔しています。以降僕にとって最大級の関心事は、いかに自己の視点を消滅させるかという事に尽きるようになりました。この事によって僕は死への思いを新たにしたのです。何故なら、僕一人が死んだ所で僕の視点が消える訳ではない、言い換えるなら、「他」が消えなければ「自」が消える事はなく、「自」が消えなければ「他」が消える事はないという堂々巡りと正面から向き合う事を強いられた訳です。衆生済度という言い古された主題が僕の前に立ち塞がるのです。その滑稽に私は屈したくありませんでした。あらゆる思考がそこに帰着するという事を認めてしまえば、私はそれを仏教の問題としてしか扱えなくなってしまうではありませんか?思うにこの範疇化こそが問題を解決する事を阻むのです。私は退屈を感じ始めています。


自由詩 独白 Copyright dopp 2015-07-24 04:34:57
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