37.5℃
竹森

コンビニのアルバイトを辞めたら制服は手元に残らなかった。高校とは違うんだねと今更ながら実感する。

母が瞬く間に痕跡を消してしまうからこちらも負けじと、僕の物だと、お皿に痕跡を残していった。「おかわり」。そのとき見せた母の柔らかな微笑は、今も理由を変えて僕を混乱させている。

卓上に散乱する紙コップを眺め、足でそれらをどかして、ざまあみろと、呟く。本当にざまあみろだ。僕は、死に方を決めるべきタイミングを逃してしまった。思っていた以上に、その決断は、急ぐべきだったんだ。

J-POPからJAZZへ、JAZZからCLASSICへ、CLASSICからHIP-HOPへ。それが、かつての僕の音楽視聴遍歴。マグカップから紙コップの使い捨てへ。紙コップの使い捨てから、紙コップの使い回しへ。それが僕だ。それが、職業よりも先に、死に方を決めるべきだった、僕だ。

部屋のどこかから立ち昇る酸っぱい臭いが充満しているが、窓を開けようとは思わない。工事の音がうるさいからだ。祝日には、騒音が中断された事に、少しだけ驚いた。そういえば、工事作業員も人間だったのだなと。その午後、僕は強烈な安堵感に抱かれながら、まどろみの中で、怠惰な睡眠を貪っていた。どこかの一軒家の壁から、たどたどしいシューベルトのピアノ・ソナタが漏れ出て、薄雲の様に、誰もの無意識にしか語りかけ得ない言語で以って、青空を透明な薄膜で覆い尽くしてしまえば良かったのに。

僕の身体にも、血が、流れているのだよと。恋人もいない、ピアノも弾けない僕は、左の掌に右手の人差し指を乗せ、スーッと一番太い血管を辿っていく。腕、肩、胸、心臓、脇、腰、太ももへと。僕の身体にも、血は、流れていたのだよと、微笑み。人知れず、吐血した。

死に方を僕は、もっと早くに、誰よりも早くに、決めなくてはいけなかったのに。僕は。

ゴミ溜めの様なこの部屋に埋もれているであろう、腐った食品が、酸っぱい臭いを発しているものとばかり思っていたが、この臭い、もしかしたら僕の穴という穴から漏れ出ているのかもしれないな。もしもこの僕という肉体が生命で、いずれ、土に還る事が出来るのならば。

幼い日に盗み出して、捨てる事も返す事も出来ないでいた母親の口紅を、今更、箪笥の奥から取り出して、鏡の前で、自分の唇に塗ってみた。すると、穏やかな圧力でなぞられて、その感触を覚えてしまった唇が、もう一度、と、僕に口づけの体験をせがみ出した。口づけも、やはり、射精と同種の欲求なのだと結論付けようとし、それは早急だと思いなおす。ただ、どちらも人間の最も基本的な欲求の一つで、産まれた時から目覚めてはいない。

そうして僕は、鏡に映っている唇の紅色に見惚れている。ああ、女装癖に、目覚めてしまいそうだ。


自由詩 37.5℃ Copyright 竹森 2015-07-18 22:48:11
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