三つの部屋
竹森

(一)

ようやく嵐が過ぎ去って、僕たちは家に帰ることができた。テレビではクマの出産のドキュメンタリー番組がやっている。「狂ってるわ」と君が唇を尖らせて、「狂ってなんかいないさ」と僕が唇を口内に押し込める様に微笑めば、この部屋の四本の柱や一枚の天井みたく、引きつっている。落雷でなぎ倒された木の幹が僕らのドアを塞ぐわけでもないのに、ドアの向こうの大気が深夜になるとダイヤモンドになってしまうわけでもないのに、僕らはこの部屋に閉じ込められている。これはどういうわけだろう。また僕らは冷蔵庫を意味もなく何度も開けては閉めてを繰り返してうんざりしている。これはどういうわけだろう。君が言う、「人生を貶めているわ」。僕が答える、「じゃあ一体どうしろっていうんだ」。0と1を繰り返す会話。まるでデジタルのディスプレイ。君を驚かせようと冷蔵庫に隠しておいたビデオ。そのビデオには何一つ録画されてなどいやしない。「でもまたすぐに来るよ、何がって―――」「嵐が、でしょ?」テレビの画面の向こうでは、クマが産みの苦しみにもだえている・・・筈だ。その筈だ。「出産の瞬間だけ映像をアニメーションに差し替えてあげれば、産みの苦しみもきっと少しは和らぐんじゃないのかなぁ・・・でもそれは、ちょっと違う、か・・・」そう言った君は目を閉じて、眠れない僕を置いて、今にもどこかへ行ってしまう。「愛してるよ」「嘘ばっかり」「ほんとうさ」本当なんだ。





(ア)

月光で白く発光するガラス瓶に浸された水道水に挿された一輪の薔薇の花が、室内に基準軸をもたらす。部屋に円形を求める薔薇の軸性と、実際の部屋の形との折り合いを付けるのは、薔薇と同様の軸性を持ち、さらに視線という方向性を持っている人体。二つの軸が部屋の対極に設置されて、柱の性質を得る。生命がもたらす大気の回転的流動性も、植物の左回りと動物の右回りという性質の相違によってエネルギーが相殺され、室内には均衡と静止がもたらされる。さらに、均衡がもたらされるという結果から、健康という回答がもたらされる。健康とは、つまり、内から外に発する圧力と、外から内に発せられる圧力が、同一であるということだから。

夕方、彼は帰宅と同時に、灯りを点ける前に、ベットに倒れ込む。歯も磨かずに、コートも脱がずに。吐息が室内に満ちてゆき、彼は、家具や部屋の所有者という立ち位置から、その一部へと、変調していく。浅い眠りのあいだに見る夢は、たいていが悪夢だ。午後八時に目覚め、カーテンを透過し、自らもそれに溶かされつつあった闇の存在に気づき(闇に気づくという事が、自身に気づくという事とほぼ同義であるという事からも、あと一歩であった)、ボロアパートの三階という深海から自らを引き上げてくれる何者も存在しないという圧倒的な事実を突き付けられ、失われていく若さ、時間におびえ、また、それだけしか持っていないという、からっぽな自分自身におびえる。「おはよう」や「おやすみ」ではなく、彼に発せられた訳でもないのに彼の鼓膜をノックする、遠い車の走行音を掻き消そうとイヤホンを捜すが、こんな時に限って見つからない。ならばせめて、車の姿を認めた上で、走行音に鼓膜をノックされようと、出会いというもののほんの端っこにでもいいからありつけたならと、部屋を出る。春だというのに、コートを脱ぎ棄てられないでいる、その身のまま。





(A)

雨の滴が窓に衝突すれば、その速度を落とす。窓の向こう側とこちら側では、時の流れる速度がずれている証拠さ。「シャワー、先に浴びてきたわよ」ドアの向こうから、バスタオルを肢体に巻いた女。その前髪から鼻先を掠めて、透明な液体が垂れ落ちる。「怪物の唾液だ!」「何言ってるの?」「ああ、臭い!唾液の臭いだ!性に対する期待が濃密に圧縮された臭いだ!穢わしい!それで上手く隠蔽できているつもりか!?」夕暮れる夜を迎える、その合図ならいくらでもある。「あなたって、本当に困った、でも可愛らしい駄々っ子さんね」女が俺の肩に手をかける。世界中の女の、上の口から、今夜、下の口が香る、番。「―――うぇ」(飢え?)上。天井に伸びていく二つの怪物の影。その片方が俺の影だなんて。ああ、渇きを癒すのは水ではなかったのか。突っ込めるものありったけ全て突っ込んで。「I was born.」「I was born.」と雨粒が砕けている。その音で雨粒に気づいては唱える、「I was born.」が追いつかない。積乱雲の上と下では、時の流れる速度が決定的にずれている。静寂の夜空。鋼鉄の星月。騒がしい雲の下を咎める様に、雲の上は、雪原にも似た険しい沈黙が支配している。


自由詩 三つの部屋 Copyright 竹森 2015-07-15 00:22:05
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