367
はるな


覚えているいくつかのことよりも、覚えていない膨大な時間たちがわたしの多くを形作っているということはわたしを強くする。世界は途方もなく広大で無意味に美しく、その無意味さは何よりも尊い、果てのない尊さはしばしばわたしたちを突き落とし絶望させるが、時間はわたしたちを鈍くさせ、落下速度を忘れさせる。わたしたちは高速で忘れながら行く、思い出すのは時折底にたどり着くためだ。それは多くの場合痛みを伴うが、痛みおよび着地(落下の終了)は必要なことだ。わたしたちは体感し、知覚し、思考する。自分の身体と、場所と、時間をだ。世界を見上げたり見下ろしたりし、選択し、決定する。歩き出そうと立ち止まろうと、また時間のなかへ放り出されればなすすべもなく落下し、恐怖し、そして忘れる。
ある人は植物のように根を生やすかもしれない…しかし時間にとってはそれは些細なことだ…わたしたちは、いつもどうしてもかたちに頼ることになる。かたちは忘れながら年老いてゆく。もちろん風景も年老いる。それは生まれていくということとほとんど同じことだ。わたしがあなたでなく、あなたがわたしでないということは、もしかしたら数ある問題のなかでは小さなことなのかもしれない。小さな、(しかし決定的な)。
わたしの時間はなびくように硬化する、色は、たぶんついている。かたちは様々で、ときどき溶けている。



散文(批評随筆小説等) 367 Copyright はるな 2015-07-05 23:56:47
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