大きな世界
葉leaf




社会人になったとき、私の目は少年のような熱を帯びていたに違いない。学者になる夢が壊れたり、大失恋したり、世間の醜さに絶望したり、私のそれまでの人生には挫折の爪痕ばかりがくっきり残っていた。挫折によって砕けたはずの純粋な理想の数々、それらは砕けて散り散りになっても決してその純粋さを失わなかった。私は社会人になるにあたって、その純粋なかけらをリサイクルし、新たな純粋なブレスレットを装着した。それが社会への夢というブレスレットだったのだ。私は何度壊れてもくじけずに純粋な理想の像を描く。たとえそれが壊れる定めだとわかっていても。
私は、社会というものは、社会常識を身につけた人たちが、無駄な感情などを交えず、ドライに機能的に働いている場所だと思っていた。皆が皆、自らの役割を自任して、それを果たすために無駄を省き朗らかに連帯する場所だと思っていた。それこそ、理想の結晶たちが美しく連動してはきらめく場所だと思っていたのだ。
しかし、私は社会人として働くにつれ、だんだんその像が崩れていくのを感じた。社会常識などなくても働けるし、仕事に私情を持ち込む人間はざらにいるし、十分機能していない人間もいる。責任意識もなく、連帯を積極的に壊そうとする輩もいる。そして決定的だったのがある事件である。私は上司のとある不祥事に巻き込まれ、懲戒処分を受けてしまった。私はその不祥事にほとんど関わりがなかったが、全ての責任は私に押し付けられ、いくら上司に訴えても責任逃れしかしない。あまつさえ様々な嫌がらせがはじまり、私は窮地に追い込まれてしまった。
この世界の法則として、純粋な夢や理想は壊れる定めにある。社会への夢が壊れたとき、私はこの法則の存在をはっきり認識した。だが、「この世界」とは何だろうか。せいぜい己を中心とした狭隘な世界に過ぎないのではないか。「この世界」より大きな世界はきっとある。その大きな世界においては、純粋な夢や理想は叶うかもしれない。私はまだその大きな世界にまで至れていない、あるいは小さな「この世界」から脱出できていないにすぎないのだ。
私はつまらない法則の支配するこの世界から脱出する方途を探している。純粋さが純粋さのまま通用する大きな世界の入り口を探している。それは案外、自分で作り上げる簡素な扉なのかもしれない。大きな世界の入り口は至る所にあり、ただ私の手先の器用さで開けられる単純な扉なのかもしれない。


自由詩 大きな世界 Copyright 葉leaf 2015-07-03 08:22:11
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