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竹森


あなたが手の平を差し出すから
僕は雛罌粟の種を埋める
それからあなたは人形になって
咲かせた花を握りつぶすこともなくなる

手の甲に
痛みと引き換えに咲かせた雛罌粟が
あなたの胸に抱かれて眠る頃
手を貫通した雛罌粟の根の端を
そっと湿った土の上に載せる頃

眠りに覚めた
根が
そっとあなたのみぞおちに触れる頃
革命を履き違えた牛達が
牧場の草々を静かに炎上させる頃

あなたを愛そうとした僕が
いざあなたを前にして
見惚れる事しか出来なかったこと

(あなたの手の甲から雛罌粟が芽吹く頃
(あなたの手の平から雛罌粟が芽吹く頃






×××××××は僕がアルバイトから帰ってくるのを待っている。艶やかな黒色の丸靴を傷つけてはいけないと僕に言い残された×××××××は、靴ではなくテレビの画面でもなくカーテンの向こうでもなく、素敵な物語の綴られた書物の並ぶ本棚を見つめている。
本はかつては主に僕が選んでいたのだが、一年前にインターネットを開通してからは×××××××自身が通販で本を注文する事が多くなった。

僕は仕事を変えてこれまでの怠惰な生活から一転して多忙になったので、長らく新しい本を読む事が無かった。家に帰る頃には聴き慣れた音楽を聴くくらいしか集中力も持続しない様になっていた。でも最近は×××××××が薦めてくれる本を少しでも読む様にしている。×××××××が薦めるのは恋愛小説ばかりではない。難解な哲学書も時に薦めてくる。もっとも、×××××××自身が深く理解しているかというと決してそうではなく、会話をしている限り、頭の出来は僕とそれほど変わらないと思う。ただし、普段から活字に触れている×××××××の方が多くの会話の引き出しを持っているのは間違いない。
×××××××は形而上学よりも抒情の部分に活字を読む喜びを見出すらしい。哲学書を読んで惹かれるのも形而上学に基づく精緻な論理それ自体というよりも、それを用いて綴られる抒情や情景の描写の方だ。×××××××と話しているとそう感じるし、何より自分自身でそう語っている。

生きる事に意味があるのかどうかというテーマを僕が持ち出すと×××××××は嫌がる。生きる辛さや生きる喜び(もしくは死の辛さや死の喜びであってもいい)を個々で語り合うのは歓迎なのだけれど、それらを率直に受け止める感性を捻じ曲げる事になりかねないから、決して答えのでないであろう問題は議論したくないのだそうだ(×××××××はそれを、「風の通り道を妨げたくない」と表現する)。×××××××は肯定する。生きている僕を、死んでいく僕を。それだけだよ、と。
それでも肯定も否定もできるだけしたくないと言う×××××××に、僕の傍に居続けてくれるのは僕に対する肯定と解釈してもいいのかと時々訊きたくなるけれど、×××××××にそれを考えて欲しくないから言う事はないと思う。

発せられた疑問ではなく発せられた理由に目を向けてくれる×××××××の優しさ、繊細な感性に触れたくて、柔らかい抱擁に包まれたくて、生きている事が耐えられない時にはそれを疑問にして×××××××に投げかける。×××××××の小さい身体から発せられる柔らかい匂いが好きだ。


自由詩 Re:Re:Re:Re:Re:Re: Copyright 竹森 2015-07-01 23:04:19
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