『年中行事』  卵から始まるはな詩⑤
ただのみきや

――卵がない!
     よりによって

妻が亡くなってから 
最初の息子の誕生日
わたしは初めてオムライスを作った
息子の大好物
記憶の中の見よう見まねで
決していい出来ではなかったが
息子は気に入ってくれた
以来それが誕生日の決まり事となった
卵を幾つも使って出来上がった大きな黄色
赤いケチャップで齢の数字を描く
ささやかで輝かしい親子の絆の証
なのに 
卵がないなんて

奇妙なことに
スーパーでは卵が品切れだった
次の店も また次の店も
どこの店員もにこやかに
「卵は有りません」と言う
十一月にイースターでもあるまいし
段々と焦りが出てくる
心臓が締め付けられるようだ
脇の下を冷たい汗がつたう
駄目だ
絶対に駄目だ
寂しい思いはさせられない
そんなことは許されない

顔色が悪いがどうしたのかと
白髪の男が声をかけてきた
わたしは卵が買えずに困っていることと
息子の誕生日にオムライスを作ることを伝えると
男は 深く何度も頷き
それから優しそうに微笑んで
まるで良くあることだと言いたげに

「大丈夫 なにも心配はいりません」

そして男は 自分は家で沢山の鶏を飼っている
これから一緒に家へ行かないかとわたしを誘った
わたしは一も二も無く従った

男と一緒にバスに乗って揺られていると
うとうと眠くなって来た
ぼんやり流れる街並み
街は人間そのものだ
どんな建物も 年老い 古びて行く
やがて建物がひとつ またひとつと無くなり 
代わりに真新しい建物が いつの間にかそこに在る
古いものと新しいものが混在しながら
やがてみんな新しいものに変わって往く
どこか懐かしく
どこか余所余所しい風景
救急車がうるさい
最近特に多いようだ
あれには胸が苦しくなる
嫌な音だ

男の家は大邸宅だった
玄関で女が二人
男と同じふくよかな笑顔でわたしを迎えてくれた
わたしは笑顔が作れないから
どぎまぎして顏を伏せるしかなかった
鶏小屋は家の中にある
数人の白衣を着た男女が集まっていた
彼らは白髪の男に何やら書類を見せている
白髪の男は振り向いてわたしに
鶏は大変な難産で手術が必要だと言い

「ぜひ一緒にやって下さい」

わたしは承諾し
彼の指示に従って
様々な器具を受け取ったり手渡したり
言われる通り作業を行った
一時間か 一晩かとも思える時間が過ぎて
鶏の出産は無事に終わった
奥の方で誰かが泣いている
スリッパはいつも冷たく響いて好きになれなかった
服はひどく湿り結露しているようで
どこからか酸っぱいのだ
わたしは男に礼を言うと
すぐに卵を持ち帰ろうとした
男はわたしを家まで送ると言い
わたしたちは来たときと同じバスに乗った

わたしは疲れて眠ってしまい
夢を見ていた
息子が一人で食卓に着いている
なんて華奢なのだろう
あれは誕生日の
やがて ゆっくりと つっぷして
青白い炎が灯り 蝋燭のように 
溶けて すべてが青く燃え広がり
救急車のサイレンが 
が が が ががががが
往クナ 往ク ナ
オ ム らい す を
忘レ ナイ カラ モウ
もう一度
モウイチド……

目が覚めた 誰かに揺さぶられて
バスから降りると
玄関の前に一人の女がいて迎えてくれた
ふくよかな微笑みで
わたしは笑顔が作れないから
どぎまぎして顔を伏せるしかなかった
誰かがわたしの手を引き
風呂場へつれて行くと言う

〝こんなに汚れちゃって〟
〝はいはい卵なのね ちゃんと預かりますよ〟

もう一度……
さっきまで あれは 確か  

〝命日ですものね〟

もう一度……
   なんだっけ



            《年中行事:2015年5月17日》






自由詩 『年中行事』  卵から始まるはな詩⑤ Copyright ただのみきや 2015-06-27 19:17:56
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