愚愛の詩
ただのみきや

発する柔らかな音のかたちが
まだ定まらないころ
神経衰弱でトランプを捲るように
何度も見て触れて味わって
モノとなまえが一致して行く
意味を纏うのはまだ先のこと
ちいさな器は無限に広く深く
おまえは乳だけで生きてはいなかった
確かにわたしたちの間には
透明な血が通っていた


おまえの周りにある全てが
父であり母であり教師でもあり
同時に奪うものであり呪うものであり
傷を負わせるものだったから
いつも全神経を巡らせて
悪い可能性を見つけ出す
わたしは父親でありながら母猫だった
過敏に反応して
この世界を相続させようとしながらも
一切から隔離するように


愛は初めから引き裂かれていた傷口
失われた半身として対象に触れること
だけど同時に愛はその半身が
異なる他者であることを受け入れること
犠牲すら差し出すことはできても
強制することなどできはしないのに
わたしはボールを投げても上手く受け取れないおまえに
受け取り方を躾けようとしたのだ


おまえがギアの入れ方が解らず悩んでいた時
わたしは横から土足でめいっぱいアクセルを踏んだ
そして自分の癇癪を愛だと嘯いた
前へ進めないおまえの内側では
行き場のない発動が唸りを上げ黒煙を吹いていた
おまえが自分の言葉を見つけて口にする前に
わたしはより良い言葉をその口に押し付けた
わたしは自らを罪人と名のりながら
おまえには神の子であることを要求していた


中学生になったおまえのことが
幼稚園に入った時と同じように心配だった
成長期の親に対する反抗を
反社会的行為と同一視して芽を摘もうとした
わたしは自分自身の経験から
反抗的若者の良き理解者であると自負していた
疑うことはなかった


見方を変えれば心もやわらかな機械だ
無理な圧力を加え続ければやがて何かしら不調をきたす
それは起こるべくして起こった
家族という血と愛憎で結ばれた閉鎖社会で
小出しにできなかったものが一挙に破裂した日
――それは小さな火種にすぎなかったが
積み重ねて来た人生を遡り焼いて往くのを見た
水をかけて消し止めても
見えない所でそれは燻り続け視界は奪われ
たましいは酸欠で激しく喘いだ


誰か悪者が入り込んでおまえを誘惑した
そう思いたかった
だけどわたし以上に
良くも悪くも影響できる場所には
まだ誰も入り込んではいなかった
わたしがそうしていた
おまえは反抗の仕方も知らないままで
自分を遠くへ逃がそうとした
何処へ?
そう考える余裕すらなく
ただ父親との心の軋轢から
自らを救い出そうとしたのだ


わたしたちの間に
多くの人々が立ち入った
それをわたしは望まなかったが
すでに選択の余地は
与えられていなかった
わたしはすでに自他共に認める
駄目な父親になっていた
わたしたちは出口を探して
歪んだミラーハウスを彷徨い続けた
辿り着いた出口は
ジェットコースターへとつながっていた
激しく生活は揺さぶられ
急上昇急降下を繰り返し
圧迫され押し潰され
飛ばされそうになり
ようやく停止した時
わたしは変わることを要求された
人間そうそう変わらないのは重々承知の上で
わたしにできることは
喋らないこと
おまえが自分の気持ちを言葉にするまで
待つこと そして
どんな苦さ怒り怨嗟も否定しないで
聞くこと それだけだった
それすら十分だった訳ではない
ただ以前よりもそう心がけ
あとは 祈るだけ
そうして三年が過ぎた


今日わたしたちは向かい合い
言葉少なげに互いを受け入れている
かつてのお前がそうだったように
おまえが話す言葉をわたしは半分くらいしか理解できない
それでもわたしたちは食事をし
時々笑うのだ
わたしはおまえを愛している
おまえもまたわたしを愛しているのだろう
ごくあたりまえの十代の若者が
ごく自然に親に持つ複雑で単純な感情をカードのように伏せて
ポーカーフェイスに成りきれないまま
そしておまえの
森の動物のようにしなやかな身体と
わたしよりはるかに柔軟な知性の成長を
目の当たりにしながら 胸の中
橙と青の絵具が少しだけ滲んだようなこの感慨を
わたしもまた伏せたままにしておこう
あまり深くない話題で笑い合える今日を
神に感謝しながら
勝敗のないトランプゲームが
いつまでも続くことを願って




               《愚愛の詩:2015年5月5日》









自由詩 愚愛の詩 Copyright ただのみきや 2015-05-08 22:59:18
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