GW、渋谷で友達と
番田 


私はこの長期連休のある日、渋谷で、友達とあるアイドルのライブを見るために待ち合わせた。私たちがそういったライブを見るのは初めてで、少しだけ緊張した。私たちにはあまり金は無く風俗に行くにしてもAKBのスタジアムライブに行くにしても不可能な話だったが、「女」という共通の認識を持った私たちは、それを抑えることができず、あまり売れてはいない地下アイドルのライブにそろって出かけたのだった。私たちはライブ自体に慣れていなかったというわけではなく、ロックイベントなどにも出かけたことがあった。しかし、そのどれもが、野外コンサートにしてもどうしても演奏者からは遠く、また、どんなに良い演奏をするにしても音という部分を売りにしている以上、「リアリティ」という部分ではアイドルの存在自体を売りにしたインパクトに比べると、致命的に欠けていた。

私たちが会うのはわりと久しぶりだった。彼はドトールが好きで、多分タバコが吸えるからだったが、いつも暇つぶしで入る場所はドトールだった。そして、渋谷の一角のその狭苦しい空間の中で、喫煙席にいる私は、息苦しかった。彼は好きなクイーンに関する話をした。彼が描いたフレディマーキュリーのイラストがフェイスブックで好評だと言うことだった。しかし、イギリス人には受けないと言うことを嘆いていた。また、怒りをあらわにしていた。私もその絵を見たが、UKで受けない理由がまったくわからなかった。そして、そんなことはどうでもいいことのようにも思われた。私は話を聞きながら以前六本木のHUBというバーで話したことのあるウェールズ出身の男のことを思い出していた。彼は何年も日本に住んでいて、こちらで嫁をもらおうと、横に座る日本人を必死でナンパしていた。しかし、関わったことのある色々な外国人の例に漏れず、私には、彼があまり面白い人間のようには思えなかった。

時間が来て、会場に向かって歩いていると、渋谷を行き交う人はあまり統一性がある感じではなかった。マクドナルドで騒いでいる若者たちにしても喫茶店にいるおとなたちにしても、よく見れば誰もが深い関わり合いもなくひとりぼっちだった。それは私たちも同じで、方向性の違う生き方の中で、皮一枚で繋がっているだけだった。

会場は男だらけの中、女性の姿も少しだけ見られた。小さな部屋の中で動き回る女の子たちはとても近くに感じられて興奮した。若さと、女であるということを売りにしたようなステージ。それは誰にでも考えることなく感じられるわかりやすさがあった。歌がどうとか、踊りがどうとか、あまり関係は無いのかも知れない。私にしても、もうそんなことは来るときからどうでもよかった。

会場を出るとすでにとても疲れていて、彼とは内容についてはあまり話さなかった。そしてまた、休みの日のある日、私たちはアイドルを見に申し合わせるようにして出かけるのかも知れない。


散文(批評随筆小説等) GW、渋谷で友達と Copyright 番田  2015-05-06 00:25:48
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