マグリット展に行ってきました
ふるる

先日、マグリット展に行ってきました。面白かったので、図録やマグリットについての本を借りて読んだりしました。

マグリットとパクり

ベルギーの画家マグリットは、シュールレアリスムの巨匠と言われております。日常の風景の中の無重力や巨大な静物、融合や石化、不思議を感じずにはいられない彼の作品は、色んな広告やレコードジャケットや映像作品の中で真似されまくっています。何故かな?と思い本を借りました。
『マグリットと広告―これはマグリットではない』ジョルジュ・ロック(著)小倉 正史 (翻訳)によれば、芸術的に優れている(色、構図、チョイスされたイメージ、背後にある哲学的考察、全部合わさってさすがの出来栄え)からっていうのが大きいけど、色んな解釈ができるし、筆に個性出してないし(真似しやすい)、不思議さ、面白さもあるし、ということらしいです(本文はもっと真面目に書いてあります)。色んな解釈について言えば、『凌辱』という女性の顔が裸になっている有名な絵、人によっては、ただふざけただけに見えるし、女性蔑視の訴えかけに見える(女性は顔を見てもらえてない)。広告だったら、体勢批判だったのに、税関のポスターに利用されたりする。(『赤いモデル』元は、自由な裸足がいつの間にか窮屈な靴に慣らされてしまっている。っていう批判的なものだったのに、時代は変わった、君たち、裸足はやめて、規則に従いなさい。という税関のポスターに利用されている)色んな解釈どころか真逆の解釈も許される。懐深いです。
この本、文章が難しい上に字が小さいので、ほとんど斜め読みでした。でも、真似された広告作品を見るのが楽しいです。よくもまあ恥ずかしげもなく…というのが沢山。
マグリットがそれについてどう思っていたのかは分からないけど、見ればすぐにマグリットだって分かるから、自身の広告としては、いいのかな。マグリットは売れない頃は広告デザインで生計を立てていました。


マグリットと言葉

マグリットは、ただ単にシュールな現実を絵に描いた人ではなく、絵を純粋に見て欲しいと思って、色々考えた人でもあります。作者の意図とか、過去とか、そういうのに囚われて欲しくない。とか、一見つまんない絵も、ちゃんと見てもらう方法があるよっていう。
『イメージの裏切り』という作品の中に書いてある、「これはパイプではない」という文字は、なかなかに深いです。パイプが一個だけ絵に書いてあったら、「ああパイプが描いてあるんだね」で終わるけど、その下にわざわざ「これはパイプではない」って書いてあったら、「え?パイプだよね?どういうこと?」ってパイプの絵をじっくり眺めるざるをえない。
この絵をもとに、哲学者ミシェル・フーコーは、我々が絵画を見る時の思い込みを明らかにしてみせました。つまり、何かの絵を見たらもとネタ(オリジナル)のことをつい考えてしまう。(ああ、この絵はあれを描いたものなのね…と思っちゃうし、もとネタを重視したり、どのくらい似ているか、と考えてしまう)とか、絵の中に文字を入れちゃいけないっていう思い込みとか。でも、もっと自由でいいんですよね。文字を絵の中に取り込んでもいいし、もとネタを重視しなくたっていい。今でこそ、文字と絵の共演みたいな絵は沢山あるし、ウォーホールの作品なんて、もとネタのスープ缶とあのコピー群がどのくらい似ているか、とかスープ缶にオリジナルとしての優位性を見る人はいない。純粋に、作品そのものを楽しんでもらうことに成功していると思われる。カンディンスキーのコンポジションしかり。
「絵」だけを見て欲しい…。といいつつ、マグリットは「言葉」も絵の一部に取り入れた人。
マグリットは、題名を単なる絵の補足というふうにはしませんでした。絵の邪魔をしないように、絵とつながりのなさそうな題名をつけたり、友達に考えてもらったり。そうかと思えば絵と題名の関係について思いを馳せる中で、何かしら感じ取ってもらいたい、という意図があったり。後ろに10通りもの題名の候補が書いてある『ガラスの鍵』という絵もありました。(「作品の持つ神秘と崇高の感覚を、タイトルが阻害しないように心を砕いたことがわかる」図録『マグリット展』読売新聞東京本社、2015より)


マグリットと問い

マグリットは「絵を描くことは問いかけに答えるようなものだ」とも言いました。例えば、「家」という問いに対する答えとして、『弁証法礼賛』という作品を描いたりしています。なんでこれが家に対する答えなのかよくわかりませんが、画家にとってはそうなんでしょう。こんなふうに、マグリットにとっての「答え」だった作品たちを見ると、逆に問わずにはいられません。
何故こんな絵を描いたのか?この絵に込められた意味は?この絵の題名の意味は?なんでこんな不思議な気分になるんだろう?何度も登場するこの人物は誰?
それに対する明確な答えはなくて、見る人は答えを探し続ける楽しみ、答えを探さずに純粋に絵を楽しむ歓び(色彩や構図、絵画と写実の丁度真ん中くらいの描き方もすごいなーと思います。何度も描かれている青空なんかもほんとさわやかで…)をマグリットから永遠にプレゼントされているのでした。

マグリット展は、国立新美術館で、6月29日までやっています。

おまけ

『マグリット 光と影に隠された素顔』森耕治(著)によると、マグリットは少年時代、近所でも有名な悪ガキで、嫌いな人にバケツ一杯の…を浴びせたり(「マグリットうんこ事件」として語り継がれている)牧師の恰好をして変なことを言いながら近所を歩いたり、両隣のドアノブを紐で結び付けて開かないようにしてからピンポンダッシュしたり、パンのふくらし粉とイースト菌を映画館のトイレに流して溢れさせたり、悪行三昧だったらしいです。「我々の見ているものは、我々の内側にあるものなのだ、外側には別のものがあるかもしれないし、何もないかもしれない」という哲学チックな意図で書かれたという作品『人間の条件』も、「いたずらっ子のマグリット」という視点で見ると、また新たな見方(ただ面白がって描いただけ!)ができるな(^^)と思いました。


参考文献は以下です。

図録『マグリット展』読売新聞東京本社、2015

『マグリットと広告―これはマグリットではない』ジョルジュ・ロック(著)小倉 正史 (翻訳)リブロポート、1991

『マグリット 光と影に隠された素顔』森耕治(著)マール社、2013

『これはパイプではない』ミシェル・フーコー (著)豊崎 光一 (翻訳)清水 正 (翻訳) 1986
(↑一応読みましたが、難しくて…マグリットの絵について、フーコーはもっと複雑なことを書いていて、私が本文で書いたことはもしかして的外れなのかもしれないけど、私はこう読んだ、ということでご了承下さい。http://d.hatena.ne.jp/shunterai/20130806/1375799168こちらのサイトも参考にさせていただきました。)



散文(批評随筆小説等) マグリット展に行ってきました Copyright ふるる 2015-04-28 17:30:54
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