ザッツ;泣き女
アラガイs


…いっしょに泣いて差し上げましょう…

からまる蔦をふりほどきながら
女は石段の脇で踞る若い僧侶の傍に偲びよって行く
立ち込めていた靄の薄い生地を開いた

かわりに一枚ほど借りていいですか、と女は尋ねたが
色白で坊主頭の男が取り出した墨皮の財布には、一枚の札も入ってはいなかった

虚ろな眼差しは閉じられたまま
喪装に伸びた黒髪を手櫛でかきあげる

…いいのよ
お坊さん…

口元を弛ませながら
やさしく微笑みかける女の細い手が若い僧侶の肩にふれた
折しもみずは昨夜のうちに葉脈をながれ
遠く山鴉の鳴き声があつい雲に響きわたる
小刻みに震える肩は盾となり
炎は指先から女の唇を焦がす
うぅうぅ……嗚咽が辺りの木々を沈黙へ追いやれば
懐かしいささやきがくびすじをさわり
それはまだ土の匂いが立ち込める朝の石段に
苔蒸した地をひしぎ
塞がれた庵蒼の果て
いま炎は立ち上がり感情は移入された
若い僧侶は女に導かれるように
肩をふるわせては息をつまらせて泣いた

…けっして山門の方をふり返ってはいけないの

紅く泣き腫らした瞳を大きく見開くと
雫石の跡も乾かないうちに女は坂道をそぞろ歩きに下りていく
戸口を閉め出されては慰めてくれたひと
あとには藤色の絣と面影だけがゆらいでいた
これまで堪え忍んできた思い
、忍耐や、堪忍や
と、しかし突然思い立つ衝動に
、我を見失ってしまったのか

…あなたは、これから何処へ

呼び止めようとしたが
すでにその姿は枝の垂れにはさまれ見えなくなっていた

…多くの人が待っている
わたしは東の迷宮へ行かなければならないの…

鬱蒼とした茂みから木漏れ日が射し込んでくる
染地の袋から水筒を取り出すと水を一口流し入れた
寺の井戸水は毎朝俗物から憂いを解き放してくれる
もっと潤いが欲しい
天狗衆徒の言うように、女は面を付けていたのだろう
これまで何を祈りながら修行してきたのか
和尚には悟られないように
ただそれだけを信じる素振りをしておけばよかったのだ。

書き直しながら、わたしはあの震災を目撃する前後の出来事について思いを馳せていた。
これは和尚自身が語っていたこと
つまり忍耐とは己が認めて堪え忍ぶもの
それは、そうだが…
…あのときも真っ先に駆けつけたのは被災者を装った泥棒たちだったではないか
気づいたのはあなたが瓦礫の片付けに追われ、女たちの涙も尽き果てた後に…。

途中クロガネモチの実が付いた枝先を手折りながら
、ふっと、いままでの記憶が交錯していたことに気がついた
鐘の音は響かない
麓の村人はそれに気づきもしないだろう
若い僧侶が山門をふり返って見上げたのは
それから一里ほど山道を下った古い礎石跡の前だった 。














自由詩 ザッツ;泣き女 Copyright アラガイs 2015-04-06 18:26:42
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