ゴキブリ
島中 充

 部屋の隅で黄ばんだ遮光カーテンの襞に、ひっそりと産むものがあった。
真夜中、昏い教科書を閉じて、少年はそれをじっと見つめていた。一匹のゴ
キブリが、濡れたオブラートのような粘液を排泄しながら、卵を産み付けて
いるのである。うっすらと横に筋が入り、アズキを押しつぶしたような形の
卵。母虫がうみ終えて、ヨタヨタとカーテンからタンスの下へもぐって行く
のを見届けてから、少年はまだ粘り気のある卵を鉛筆で小皿の上にはがし取
った。蛍光灯のスタンドに照らして尖った鉛筆でつつきながら、ひっくり返
し観察した。その行為の中になにか忌み嫌うものを少年は感じていた。母親
に見つからないようにする手淫のような、やましい気がするのだ。以前ラジ
オで聞いた話を、少年は思い出した。酒に酔った男がタンスの隙間から這い
出てきたゴキブリにマッチで火をつけた。ゴキブリは油紙のようによく燃え
る。羽を広げ、めらめらと燃えながら舞い上がり、天井裏に逃げ込み、火事
になったというのだ。この卵に数十の赤子がいようと、ゴキブリだ、やまし
い証拠は消し去らなければならない。マッチを引き出しから取り出し、燃や
しにかかった。火を近づけると、卵は小さな青い炎を上げポンと弾けて破裂
した。部屋の中に髪の毛の焼ける匂いが漂った。

 その夜、浅い眠りの中で少年はかさかさという音に目覚めた。まだ薄暗い
中、目を凝らすと一匹のゴキブリが、ごみ入れの中のノートを、ちぎって
丸めた紙を食べているのだ。それは前夜、手淫の精液を拭い取ったノート
の切れ端であった。食っているのはあのゴキブリに違いない。

 自分がクラスで、ゴキブリと呼ばれ、なぜいじめられているのかを、その
時、はじめて、少年は理解したような気がした。



自由詩 ゴキブリ Copyright 島中 充 2015-03-25 20:21:43
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