群像
飯沼ふるい




えぇ、ご指摘の通り、これはシベリアンステップの凍土に眠る名もなき独逸の冒険家が手首に巻いていたスカァフです。それはさておき私の話をまずお聞きなさい。





一小節、まだまだ弦楽は引きつって笑わなければならない。ティンパニ、ティンパニ。ここで叩く音が嬰児を爆ぜさせて射精、掌握された、
二等星、そのために手を繋ぎ唾液を髪に垂らす星、下痢をぶちまける、指のかたちに、夜が河川に運ばれる、星が運ばれる、海へ、塩辛い破裂音が犬吠埼に弾かれる、
3番線、それは以前に書いた詩の名残、架線にたなびくビニール袋、聞き慣れた単位に染められようとする一筋の希望、
地平線は震え、たくさんの涙腺から、医務室に収められた、ホルマリン漬けの卒業証書。





 我々の遺骨を
 我々が納める
 我々の指先
 




道玄坂を下っていた男は朗らかな東北訛りで、日露のエネルギィ通商に伴うOPEC諸国との資源交渉の影響について連れ添いの女に説いていました。
さて、浜田商店という看板のかかった、古ぼけた個人商店には萎びた玉ねぎや人参が、並べられています。
埃っぽい店内の空気をいっぱいに吸い込んだそれらは、近所の農家が三代前の主人に卸してからずっと残されているもののようにも見えるのです。
数年前に流行った文具のポスターが、レジの下に色褪せながらも貼られています。
そこに向かって深緑のジープが突っ込んで来たのは、語尾をずるずる引き延ばすような訛りを隠そうともしない男が女と別れてから中央線での人身事故に捕まり立ち往生していた時でした。
衝撃はよほど大きかったと見え、その破壊力は二度目の元寇の際、いざ浜に上陸せんとして蒙古兵が投げた、てつはうにまでおよび、肥前武士の右腕をちぎり飛ばしたものです。
彼の流した血とよく分からない体液は、海砂と化合してひとつの小さなストロマトライトになりました。
それは今も尚、死んだ観念のような姿で酸素を吐き続けています。





冬の陽のおおらかな無情
 行方は知らない

白い雪の静かな知性
 行先を教えない

低気圧が覆っている
敷き詰められた白線の下敷きになって
寒い
日本酒を呑む
うまい
こたつにミカン
カメラはNikon
言葉は知らない
除染済みの土砂を
モノクロに写して

僕は何に恋をする

人恋しさに
恋をする

干柿のような顔のカップル
1枚、どう?





皆さんもご存じのこととは思いますが、昨日、貯水池に落ちたゴムボールを拾おうとして、柵を乗り越えた子供が足を滑らせ池に落ち、溺死しました。
さればこそ、以下に述べる事実もまた教えなければなりません。
明後日は、老人がぬるい茶を大袈裟に啜りながら、彼の友人に王手を掛けることでしょう。
また、因数分解の初歩に戸惑う岐阜の中学生の女の子が、先生と目を合わせないよう不自然に目を泳がせることでしょう。





「青や緑は人に寒さを感じさせる、寒色と呼ばれる色です。赤や黄は逆に、暖かみを感じさせます。これを暖色といいます」
と、いつか図工の時間に先生が教えてくれた。新しく僕に与えられた言葉はそっくりそのまま教科書に印字されている。
青い水彩絵の具をなんとか絞り出す。弱ったなまこみたいな寒色が小汚いパレットにぽてりと落ちる。
ひねくれはじめていた当時の僕はそれで暖かい太陽を描こうとしたのだが、どうもうまくいかなかった。
太陽は赤い、などと誰が決めた。とは言うものの、しかし、しかし例えばだ。僕が赤いと思って見ている物が、僕が青いと思って見ている物の色で見える人に、焚き火や夕焼けの色、あれが暖色といいます。
と、教えたとする。
「ほう、あの色が」
彼が夏の黄昏を情感いっぱい込めて描いたとき、僕は彼をひっぱたいてしまうかもしれない。
てめぇの血は何色だと。お前それ暖かく見えんのかと。ひねくれるんじゃないよ。夕焼っていうのはこういう色だ。いや、違う……。
と、謎の押し問答が始まるのではないか。彼の暖かさとはいったいどうなのか。絵の話が論理学だか哲学だかの話になってしまうからもうやめる。
とにかく僕は諦めて画用紙を青空で埋めた。青く円い太陽はすっかり潰されて、雲を描くのも忘れた。





2014.11.30

またなにもしない1日。
彼らを思うことの虚しさ。
仕事を探さねば。
社会に出て働くこととは相容れないが、仕事をしなければ何事も説得力に欠ける。





教皇への布施を誤魔化し続け、売れない芸術家を養い続けたシチリアの銀行家は睡眠中に窒息死しました。
彼の不倫に嫌気がさした妻が、湿らせたシルクのハンケチを彼の喉に突っ込んだのです。
彼が死ぬ間際まで愛読してきたヴェスプッチの『新世界』第3版は、彼の死とともに妻の手で焼かれました。
その火を種に、思想家の卵が心密かに疑念視していた易経もまた、始皇帝の命により焼かれたのです。
それらの、明るい燃焼音を記録したレコオドはいずれ、オクラホマの図書館から見つかることでしょう。

その翌日の早朝、南米の密林に流れる小川に、純度の低い安物のコカインが大量に流れました。それを拾い上げた者が、キュロス2世に仕えた軍人の一人でした。
興味のままに服用し、興奮した彼が見たのはどこか遠い国から湧き立つ蒙古高句麗(ムクリコクリ)の雲でした。
神にも見紛う姿だと、畏れ敬う彼の大きく開かれた瞳には、新しい生の兆しがきらめいていました。
湧きあがる力のままに、彼は下エジプトの麦畑を蹂躙したのです。その後、彼はメデシン・カルテルに加担するマフィアの一員とみなされ、警官の一斉射撃を受け死亡しました。
彼の呟きは、ホメロスの耳にも届き、あの有名な枕詞となったのです。つまりオデュッセウスやテレマコスとは原子爆弾の隠喩ともいえるでしょう。





2015.1.15

白く薄い布を首から爪先までぴったり巻き付けられた中年のアラブっぽい男が腹をかっさばかれた。
舗装されていない路上で、細長く反りの強い刀を持った長身の男が倒れている中年男を踏みながら、男になにか怒鳴りつけ、おもむろに刃を脇腹に突き刺したのだ。
中年男はぎゃあぎゃあ叫びながら首を降りまくる。長身男は尚も怒鳴りながらマグロを解体するように何度も刀を押しては引いて、腹に一文字の穴を開ける。
血は一滴もでない。長身男が中年男を蹴って、横向きにさせたとたん、濡れた一塊の腸がどろりと地面に溢れる。中年男の胸がまだ上下している。
そこで目を背ける兄と知人。テレビの映像だった。自分はやべぇやべぇと言いながらその場を離れ、何度もその現場を振り向いた。
兄らとテレビを見ていた筈なのに自分だけいつのまにかそこに置いてかれていた。
砂埃と黄土色の荒廃した荒れ地を駆ける。すると、古い日本の宿場町の面影の残る、山の斜面をつづらに縫う田舎道についた。
折り返しのうねりの頂点に路が一つ伸びていて、そこに入ると、親戚の家のような実家だった。葬式の準備で慌ただしそうにしていた。
自分も真っ黒の靴下を探したが見当たらないので、深い紺色の靴下で我慢した。
ネクタイも葬式用の黒一色のものがなかった。一筋の黄色い雷模様のついた趣味の悪いネクタイで妥協した。
準備を終えると、見知らぬ子供と風呂に入っていた。田舎の子らしい垢抜けない丸い顔の男だった。途中でその兄と思わしき男が入ってきた。小学校高学年くらいの男だった。
狭い風呂だったから兄はずっと立ちっぱなしだった。





『インディアン』と、ある全体の為の便宜的な名詞それ自体をさも彼の名であるかのように入植者たちから呼ばれていることなど知る由もない男が
新しい命の為に流した汗は蒸発してアパラチア山脈の霧となったことに疑いようがありません。
しかし彼の妻はペストに罹り、腹の子と共に赤い土の中で分解されていきました。
彼の慟哭は、あのシチリアの銀行家が見た走馬灯の最後に、鈴の音のようにかすかに響いたのです。





雪のまばらに残った梨畑が午後四時の夕陽に曝されて、赤黒く染まっていた。
渋谷のスクランブル交差点を歩く群集が頭によぎった。
田舎者が思い浮かべるテンプレートな都会の偶像だ。
しかしそこに同時代の私がいる。
共有しきれない、私という境界が、肩をぶつけ合い、ざわめき、すれ違う。
哲学を噛み砕いたような胡散臭い曇天が、吾妻山の山体を覆い隠した。
雪片がそこから無軌道に落ちて、土塊を埋めていった。

老人の渋面みたいな梨木の皮膚が孤独だ。
お天気カメラに映る数人の死者が孤独だ。
そういう同質さは繰り返される。
私の境界も、
一生分の永遠のうちに切り取られ、
身震いし、崩れていく体。
身震いし、崩れていった町。
埋め合わせの、
夢見がちな言葉が群がる。








今、と言ったときの過去が幾度となく去来して、私、と言ったときの過去が幾度となく去来して、未来、へ進もうとする意志が宇宙と並行して走っている、今。








2014.11.13

ハローワークに行った。事務職は幹部候補として育てる予定がないと採用厳しい。資格、経験も必要になってくる。
帰りに美術館に寄った。常設展は以前見たときと変わらない。企画展の方へ向かう。
企画展はなんとか千甕という人の特集だった。
10代半ばの頃に描いたという仏画はきれいだった。仏画をまじまじと見るのは初めてだった。仏の纏う装飾物の緻密な描写に驚いた。
仏の体を成す墨の線ひとつひとつの柔らかさ、繊細さ。人の信仰を篤くさせる技術への畏敬。





えぇ、ご察知のこととは思いますが、これはチグリス川に辿り着いた遊牧民に伝わるタペストリーのひとつです。そんなことはいいから私の話をお聞きなさい。





たしか小学校に入学したての頃だった。自分の顔を好きに描きなさい、そう言われたのでクレヨンで想像上の自分を描いた。
描いている最中のことはまるっきり覚えていない。気がつくと子どもの描くお決まりのホームベース形の顔が教室の後ろの壁に並んでいる。
名前がないと誰かも分からない自画像の列のなかに僕の顔がある。両肘の関節を不自然に折り曲げておネエのように手を振っている。
その指の歪さったらない。派手な盆栽の枝ぶりかと。本物の自分の手と自分が描いたはずの自分の手を何度も見比べたのを覚えている。
僕の指はあんな形ではない。先生が、「みんな上手に描けていますね」とかなんとかニコニコしながら褒めた。
「はぁ、あの指が」
僕の指が先生にはあんな歪に見えるのだろうか。などと本気で考えるほど僕は阿呆ではなかった。お世辞という感じくらい分かった。
先生は僕の絵を「元気なのがよく分かるね」と褒めてくれた。気恥ずかしかったけど、努めてなんでもない顔をつくった。

ただ、世界はある時代までモノクロで出来ているのだと思っていたくらいには無知だった。
カメラが映す人はヘルメットをかむったアメリカ人、外人とはつまり全員アメリカ人だ。そしてみんな妙に素早い。せかせかと行進するアメリカ人。
モノクロの人たちは今どこでなにしているんだろう。日曜日の朝、戦争の話をしているテレビを見ていて思った。

それから少しして、母方のじっちやんが骨になった。骨を拾う時のカサカサという音が心地よかった。
みんながすすり泣いているのを見るのがおもしろかった。知らない親戚のおんつぁまが話しかけてくるのが怖かった。
大人が着る服もそこかしこに掛かる幕も骨も白と黒ばかりだった。戦争のテレビを思い出した。
じっちやんは、モノクロからフルカラーに世界が変わるときを生きていたのかと思った。
じっちやんは機関士だったという。
こんなにも目覚ましく色づいた世界にあって、機関車が真っ黒のまんまで、どす黒い煙を吐いてずんずんと突き進んでいたのを知ったとき、彼はがっかりしなかっただろうか。
そんなこと考えていると、僕のいなかった時代があったのだと、初めてわかった。
心のすぅっと浮くような涼しい感じがした。のど仏が納められて、質素な木箱が閉じられた。誰かがここからいなくなった。
あとで父ちゃんにモノクロの話をしたら思い切り笑われ馬鹿にされた。

それからクレヨンも絵の具も真っ先にあおいろが無くなっていった。
空は青いし雨も青いし朝顔もそれを植えたプラの鉢も運動着も青かったからだ。
ひねくれてしまったのは父ちゃんのせいだと思う。





四号室、ヤニ臭いシングルルームに男を呼びこんで寝る。ふやけた視界が捉える、シーツや鏡、暖色にまみれた時間、
窓の向こうの海浜公園から花火がうち上がる、雅やかな光の輪、もはや体温だけの男。
目から彗星のようにとめどなくこぼれた、意味と、水風船の破裂するようなびしゃびしゃの景色が、
饐えた臭いごと肛門に注がれ、指を首へ殺意のように絡め、銀が散り、塵が舞い、夜はあぶれて、
五時、水平線の底からたち昇る古い友人のような朝焼、部屋に残された指輪とコンドームが、他人事のように輝く。





これらは全て、明日をも知れない若い新橋のホームレスが仕立てた、平坦な悲劇の妄想です。
「かつて」から「いつか」にかけての時制の間、皆さんの身に起こってもよかった事実の目録です。

ベクトルとは常に一定とは限りません。幽霊のようにふわふわと彷徨うクォンタムとメランコリィとミィムとにより、それは湾曲し、正道を征き、あるいは拗ねたり、反発したりもするのです。
黄金に輝くアジア象の夢から生まれ、砕かれた林檎のような女陰が咲き乱れる沼へと注がれるように、
皆さんや、皆さんがご覧になっておられる教科書の綴じ紐や、この詩というくだらない言語遊戯の構造上「私」と語られるべき、この私も、
歴史と重力との網状のスペクトルをすり抜け、十一月の大西洋に人知れず舞い落ちる白雪になり得るのです。えぇ、そうです、おっしゃるとおりですので、私の話を聞きなさい。





以下余白







 


自由詩 群像 Copyright 飯沼ふるい 2015-03-09 23:48:25
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