8ジグソーみそ汁
吉岡ペペロ
梅の香りに妻が風呂敷をかけた。風呂敷は青いビニールシート。数字が日にち。逆算しなきゃ。それさえも忘れた。子供たちがぼくとおなじ高さにいた。妻がタッパーからみそ汁。それをこぼす。ひるがえって青空。どきどきの甲斐もなくみんなは笑顔。はははははははは。家を脱いでレジをピッピッピッピッしにゆく。頭を打つ。首を打つ。なんのまわりを小躍りしながらまわっている。おとなしい。おとなしい。おとなしい。宇宙?そんなだいそれた数字、逆算、約束、忘れてしまった。
目が覚めて思い出さなければならない数字があるような気がしてぼうっとしていた。
バイトに行く日?バイトの時間?子供たちとこんど会う日?それいがいになんかあるか?高校生の顔が浮かんだ。
すぐに高校生のベッドから垂れた手を思い出していた。
なぐさめるような気持ちで喋ったはずだった。
いまのぼくのことやそれまでのことを。
気がついたら母の作るみそ汁のことも忘れて喋り続けていた。
雨が車をたたいていた。
車のなかが宇宙から突き刺さった点のようだ。
高校生がぼくの頬をてのひらではさもうとした。
ぼくは首を動かしただけでそれを避けて高校生を家まで送った。
そしてそこにしばらくとどまっていた。
なんでハラルなんだろう。黒髪のせいか。
高校生のためにそうしていることがハラルに対するとむらいのような気がした。
子供たちにぼくがいなくなったことが申し訳なかった。
高校生の人間関係のせいで殺されそうになって申し訳なかった。
申し訳ない。申し訳ありません。申し訳ありませんでした。そうだ。
思い出そうとした数字はこの感情だ。数字じゃないけどこの感情だ。
母が朝食を用意してくれていた。
父はもう仕事にでていた。
たいして儲からない不動産屋だ、というのは父の言葉だ。
冷たいソーセージとひからびた卵焼きを焼きたてのパンといっしょに食べた。
ぼくは起きたとき感じた数字というか感情をそのまま胸に抱えて仕事に出かけた。
海に寄った。
曇りだから灰色の海。
すぐ祖父ちゃんを感じた。
母の父。ぼくは死んでしまった祖父ちゃんのなかにいた。いや、なかというよりぼくと祖父ちゃんは混ざっていた。
ぼくはコンビニでバイトするために生まれてきたのではない。
そんな思いが呼吸するように出たり引っ込んだりしていた。
祖父ちゃんを感じたままぼくは思いを繰り返していた。
ぼくはコンビニでバイトするために生まれてきたのではない。
妻や子供たちと離れ離れになるために生まれてきたのではない。
パラルのため、そう思いかけるとぼくが生まれてきたのはパラルのためではあるような気がした。
子供たちのため?妻のため?父や母のため?なぜかどれもパラルのためと思ったときほど切実ではなかった。
バイト先に着くと高校生の自転車があった。
ぼくと交代だろうか。かぶるのだろうか。いずれにしても話すことなんてなかった。
ぜんぶ話してしまったような気がしたから。そして高校生の話しを聞こうとはまったく思わなかったからだ。
着替えて店内に入るまえケータイをのぞいた。
着信と録音があったから聞いたら弁護士からだった。
署名とか押印した書類が指定日を過ぎても来ないからかけてきたようだ。
ご不明な点があるようでしたら明日お会いしてご説明します、とのことだった。
段ボールの湿気た匂いがまとわりついてきた。
ぼくは爽快な気分になりたくて明るい店内に突撃するようにして入っていった。