そこにある全てが失われていないというだけの
ホロウ・シカエルボク






胃袋に堆積した今日の摂取が
わずかな歌にも変われずに終わる頃
仮面を剥ぎ続けて
挙句顔をなくした俺の
首から下だけが横たわっている寝台
ヒートショックする精神のブレーカー
ダウンだ、大げさなアクションで
カウントを取り始めるレフェリー
ヘイ、俺の個人はまだ認識されているのかい
俺はそう尋ねるけれど
やつは自分の仕事をすることより他は考えちゃいない
当然立てない、バランスが良くない
整合性というものをすっかり欠いている
終了のゴングを聞いた
何が終わったのかはよく判らなかった
ただただ頭を失っていただけで
誰かが駆け寄ってくる
大丈夫かと声をかけてきたけど
そいつが呼んだ名前は俺のものじゃなかった
情報が混沌としている
情報が混沌としていて
落ち着くところがどこにもない
冷たいシーツがこすれるのを背中で聞きながら
俺は何を取り戻せばいいのかと考えている
たとえ本当の顔を取り戻したところで
それは俺の顔と言えるのだろうか
破り捨てたたくさんの顔の中に
もっと俺らしい顔があったのかもしれない
たとえ本当の顔を取り戻したところで
それは俺の顔と言えるのだろうか
仮面の下で忘れられていった顔など
取り戻すだけのなにかがあるだろうか?
もとよりそいつは取り戻すことなど出来るのだろうか…?
観客たちが立ち上がらなかった俺にブーイングを浴びせている
おい、俺が見えないのか、と
俺は胸中で奴らに反論する
俺の頭は失われているんだぞ
それがどういうことなのかお前らには判らないのか?
だけど
そんなことは馬鹿げたことなのだ
すぐにそのことに気づく
俺があそこにいたらきっと同じようにブーイングするさ
誰かの顔が失われることなど誰にも知ったことじゃないのだ
まして俺自身
痛みすらとうの昔に消えていたほどの手遅れなありさまで
なにもそこに生まれるはずがない
なにもそこに生まれるはずがないのだ
むしろそこには隠され続けたものしかなかったのだから
シーツはいつまでも温かくならなかった
失われたままであるのだから仕方がないのかもしれない
温もりを求めるには俺は至らな過ぎる
すべてに業を煮やした俺はどこかしら動かそうと試みた
するとそれは普通に動かすことが出来るのだ
そうして初めて冷静な思考というものが生まれてくる
まるで失われているみたいに見えるのにそれは決して失われてはいないのだ
なによりも俺の全身は連動していて
ひとつの使い慣れた意思によって統率されていた
それで少しはまともな気分になることも出来たけど
それはある意味でもう一度ふりだしに戻るみたいな感覚だった
さて
それでこれはいったいどうした状態なのだね

裁判官が俺を促す
舞台はいつの間にか冷たい寝台から
さほど厳格でもない小さな法廷にシフトしていて
さほど厳格でもない裁判官と
退屈そうな陪審員たちが俺を見つめている
俺はなにかしら自分なりの見解を口にしなければならないと思うのだけれど
当然の如く頭がないのだからそんなこと出来るわけがないという結論に至る
いや、だけど
動かせる、思考出来る、認識出来るーなのになぜ
頭だけがきちんとなくなっているのだろうか?
それともそれは俺にとってなくなっているというだけのことで
彼らには見えているのだろうか、もの言わず虚ろな目の俺の頭が
傍聴人たちがブーイングを始める
おい、待てよ
なんて
俺にはもう言うつもりもない
もしもここにあるのだとしたら…俺の頭がここにいつも通りにあるのだとしたら
失われてしまったという俺の感触はいったいどこからどんな風にやって来たというのだ?
静粛にしなさいと裁判官が言う
そして、例のハンマーをコンコンと鳴らす
傍聴人たちは静まりはしない
閉廷、閉廷だとあらん限りの声で叫びながら
裁判官たちは堆積してしまう
ブーイングが最高潮に達したところで
舞台は歪み俺は見知らぬバスルームにいる
耳の中ではまだ無数のブーイングが残響している
そうだ、鏡、と俺は思いつく
このまま鏡を覗けばいい
自分の目で自分を確認すればいい
誰が見失っていたのか、たとえそれだけでも
はっきりしないままよりはずっと良い
俺はバスルームを出て洗面所へ向かう
洗面所の鏡を覗き込み、思わず悲鳴をあげる
そこには真っ黒い靄のようなものがあるだけだった
そこで目覚めた
俺は洗面所の鏡を見ながら
大きく息を継いだ
そこにある全てが失われないというだけのものでしかなかった











自由詩 そこにある全てが失われていないというだけの Copyright ホロウ・シカエルボク 2015-01-29 13:35:27
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