絆の終わり
秀の秋

父の三回忌の時、兄弟から空き家となっている実家の処分が持ち出された。小学校1年まで実家の近くで遊んでいた私としては売りたくはないのだが、それが私の感傷であることはわかっていた。そう兄弟姉妹それぞれが遺産の実利を得たいし、それを必要としているのだ。私が遺産を等分した程度を兄弟たちに配分できればいいのだけれど、貧乏になった身ではそれもできない。
  

 実家を売る、それは父祖の地で結んできた親戚との地下茎のような絆を実質的に断つことであり、また、父母を媒介として成り立ってきた兄弟姉妹関係の根の塊を掘り出して空気にさらすことでもあるのだ。確かにこれからも会えることは会えるだろうし、集まることもできるだろう、しかしそれはもう掘り出され枯れゆく根っことしてのそれだろう。

  
 親戚の叔父叔母たちは10年以内くらいに、我々兄弟姉妹も20年以内くらいにはほとんどいなくなるだろう。叔父叔母たちにも、そして我々にも残された時間はそんなに長くはないのだ。昔からの流れゆく時間あるいは土地の上で、親戚あるいは兄弟姉妹としての重なりを持った時間、絆を持った人たち・・・そしてそう遠くない日にその誰もがいなくなる哀しみ。


自由詩 絆の終わり Copyright 秀の秋 2014-12-31 09:49:09
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