カツの思い出
ドクダミ五十号

私の育った施設ではカツと言うとくじらだった。
ごはんと言うと麦が半分以上混ざった灰色に変色したものだった。
米軍が施設に寄付したので、パンは多かった。
長い卓に全員正座してパンを喰らう様は奇妙だったが、くじらのカツの
獣臭さとウースターソースと粗悪なパンが以外に合うのだった。
味噌汁の実は自分達が育てた野菜。くじらをサンドしたパンにあうわけも
なく。年に一回真っ白いおまんまが食卓に並ぶ。正月だ。
それは古々米であったが贅沢品で、鯛味噌と海苔とたくあんで
泣きながら食う者も居た。高度経済成長期の落とし子。
出稼ぎから帰らないおとうを待って、それが願わぬ望みで、関東の
施設に。元は戦災孤児を収容する施設だった。軍需施設と鉄道がある。
子供だとて時代を思い知った。なので富裕層を恨みはしなかった。
私が一番不快に思ったクリスマスプレゼントは米軍の押し付けの
アポロロケットの模型だった。ABS樹脂のそれを憎んだ。
大いなる脱線だね。今でもとんかつ屋さんの前を通ると、豚と自分の
因縁を思う。父親だった男のふるさとの実家は豪農だった。
長男が豚の飼育で多額の損失を出して、田畑を失った。
実は豚は病気に弱い。だからと言って薬剤の大量に与えるのは免疫を落とし
子豚に悪影響を与える。霜降りの豚肉。不自然すぎて私は食べない。
新しい遺伝子を自然な方法で豚に与える試みもある。いのししは洋の東西で
豚の原種と言われている。同族交配で歪んだ遺伝子を治せる可能性があると
言われている。次に私がとんかつを喰らう時には、健康な豚であって欲しい。
豚は臭い。だがその肉を喰らう人間とはなんなんだ。ドイツ人は豚料理の
エキスパートだ。さて、日本人とドイツ人の違いはどこにあるだろう。
血のソーセージと言うドイツの料理を食べた事がある。もちろん料理店で。
店主は言う。君は幸運だ。ジャガイモとニンジンとキャベツ。貧しく阻害された
ドイツの味だよ。飢餓が世界を戦争に誘う。実に悲しい事だよ。
こんな物を食わずにいられたらどんなに幸せだろう。
日本人の私にはとても舌に合わなかったが、彼等を理解する助けにはなった。
店主は今だと思ったのだろう。料理人にあれをと。
キャベツのお漬物。酸い。そうか、口直しとして強烈だ。
女給がウインクしたのを、私は忘れない。
美味しいとんかつだった。厚くも無く薄くも無い。


自由詩 カツの思い出 Copyright ドクダミ五十号 2014-12-14 11:36:12
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