仕事
葉leaf
私は仕事に向いていない。職場には心からのやり取りなど微塵もなく、みんな効率性のためにつくりものの愛想と笑顔を浮かべている。親友などできるはずもなく、勤務時間を過ぎれば赤の他人同士。人間らしい湿り気がない。私は仕事に向いていない。
だが、私はそこまで人情深い人間だったろうか。むしろきわめて論理的で、非情に目的を達成することだけに喜びを感じる人間ではなかったろうか。連帯など最小限に抑え、ときには嫌われ役も買って出て、ひたすら達成感を求めてドライに突き進む人間ではなかったろうか。むしろ私は仕事に向いている。
私は仕事に向いていない。いくら仕事をしても誰に知られるわけでもなく、目立つのは住民や偉い先生ばかり。内部的には自分の業績として扱われても、それが表に出るわけでもない。あくまで自分は縁の下の力持ち。こんなものが本当の自己実現であるはずがない。私は仕事に向いていない。
だが、私はそこまで自己顕示欲の強い人間だったろうか。むしろ、自分の存在なんて消してしまいたい人間ではなかったか。自ら他人に与えても他人から与え返されることを望まない冷徹な人間のはずだ。自分の仕事なんて世間的に報われなくていい。無名のままでいることが一番楽しいのだ。むしろ私は仕事に向いている。
私は仕事に向いていない。何でもない事でも全責任が自分に覆いかぶさってくる。上司からはときに理不尽な叱責を受ける。とにかく自分の背負うべきものが多すぎて、そこまで背負いきれるほど使命に燃えた人間ではない。私は他人のお手伝いでちょうどよいのだ。私は仕事に向いていない。
だが、そんな私は責任を負うことにやりがいを感じていないだろうか。何か複雑なゲームを生き延びていく冒険の快楽のようなものを感じていないだろうか。責任があり叱責があるからこそ、達成もあり賞賛もあるのだ。仕事はもっともリアルでスリリングなゲームなのである。むしろ私は仕事に向いている。
仕事と私は平行して展開していく二つの世界のようなもの。お互いに多様な風景を照らし合いながら、共に生きていく腐れ縁。向いているも向いていないもない。ただ次々と異なっていく風景が、同じく次々と移ろっていく風景と光を共有し合い、その光の具合がまちまちなだけ。私は仕事と共に生きる。ただそれだけであり、それ以上でも以下でもない。