金型
はるな


まいにち目にわかるほど大きくなっていくのに、娘はきちんと娘のかたちをしている。一日にすくなくとも一度はどうしようもないほど叫ぶ娘を抱いて、鏡や暗い窓にうつる自分のすがたを見せてやると、泣きながら(あるいは泣き止みながら)手をのばしている。娘のからだはいつもとてもあたたかいので、窓がらすはすぐに、手のひらのかたちに火照るのだった。鏡をみがいていると、わたしの(そして夫の)足もとにあたるところ、いつもは汚れたりしないところに、ちいさくまるい手形があり、わたしは、わたしでないように笑ってしまう。
なんにも考えうかばないような疲れた体を横たえて、指をうごかして思い出すことは、たとえば九歳のころに初めてつくった詩集(メモ帳に穴をあけて、母が紐でたばねてくれた)、朝顔の鉢が青いプラスチック製だったこと、ケーキを焼いた金型のどのへんが錆びていたか覚えている、父が黄色い飾りのついた髪飾りを買ってくれた、晴れた日、自転車を漕ぐ影をじっと見ているときの浮遊感。
覚えていることがいろいろある。でも、なにを覚えているのか、思い出すまで思い出せない。髪を切ったのは、間違いだったのかもしれない。壁にきれいなテープで写真を貼っている。このあいだ通った台風のせいで、窓がずいぶん汚れてしまった。窓、窓は大切なものなので、きれいにしておかないといけない、窓、あるいは扉、もしくは鏡。夜と朝とでちがう窓たち、(もしくは鏡、あるいは扉)。伸びたりちぢんだりするようになったのはいつからだったろう。娘はいつから娘のなかで伸びたりちぢんだりするかな?夫はどうしてあんなに変わらないのだろう。でも、わたしも、結婚しても出産しても、結局は変わらなかった。戻ってきただけのように思う。わたしは、わたしに戻り続けているように思う。

わたしは、わたしでないように笑ってしまう。
不安になって目をやると娘は、いままでにわたしがわたってきたどの朝よりもあかるく笑うので、思わず触ると、やっぱり娘はぴったり一分の間違いもなく、娘のかたちをしている。



散文(批評随筆小説等) 金型 Copyright はるな 2014-10-24 10:13:51
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