「反復」先田督裕 生きるための詩について書いた
nemaru

詩とは何かと。テーマが大きすぎて、わざわざコンビニで飲めないお酒を買ってきて、飲みながら書かなければならない。仕事はたまっていて、こういう時に限ってこういう事を書こうとする。書いたらたぶん寝る。

私にとって詩といえば、詩である。特に、好きなフレーズがあるもののこと。身に携えて、実際に生きていくことができる言葉のこと。むかーし谷川俊太郎が「詩人は自分も詩を書くことで生きて、読む人も生かせるといいなあ」的な事を書いていて「へえー、週間そーなんだー」と超素直に受け取って、あれこれ考えた時期があった。そうしていると、じっさいひどい目にあった時などに何度かガチで生かされたりして「あー、詩で生かされるというのはこーゆーことかなー」と思うようになった。詩で生かされる。何を大げさなことをと思われるのかもしれないけれど、信じてみればなかなかどうして。

先田督裕「反復」
http://www.ube-ind.co.jp/libertas/bungei/bungei_poem_10.htm
http://www.poetry.ne.jp/select/lib/lib01.html

URL(うらる)をふたつ貼らせていただいた。私が先に読んだのは下のURL、ポエトリージャパン巻頭詩で、上のは思い出して検索した時に出てきたものだ。ポエトリージャパンのほうはページの中ほどにあるのでページ内検索をかけてみてください。上の方は縦書なんだけど、画像でMS UIゴシック的な感じがあまり好みではないので、できればポエトリージャパンのページ内検索のほうをオススメしたいのだが、そうしてはくださらんだろうか。

先田督裕さんの「反復」という詩である。

短い詩で、非常にすんなり読める。ほとんどエイの観察日記のようだが、最後の二行の間にはかなりの飛躍が「ある!」とも言えるし「ない!」とも言える。エイが自分から「鬱だ死のう…」なんて思うわけがないから、当たり前のことだ。おーい、ここに、当たり前のことが書いてあるぞー!でも、当たり前のことなんだけれども、ハッとする。しないだろうか。

「彼にとっては死ぬに値しないのだ」この言葉に何度お世話になったか知らない。座右の銘に掲げさせていただきたいくらい。「彼にとっては死ぬに値しないのだ」の前に続くのは「故郷のアマゾンも、狭い水槽の中も」。彼というのはエイのことだ。故郷のアマゾンというのはエイの故郷のことだ。狭い水槽というのは彼が今いるところだ。

私達は同じ事を繰り返していると退屈する。飽きる。気分転換に散歩したりする。狭いところに閉じ込められたりすると困る。狭いところと言っても、電車にでも乗ればずいぶん遠いところまで行ける。行ったところで仕事があって、朝から(夜から?)始まって何時まで働くのか(勉強するのか?)知らないが、ある程度拘束されてしまう。自由になりたいと思う。自分の人生のやりきれなさにじゃっかん憂鬱になったり、軽い絶望や重い絶望をおぼえたりする。そういった時に、このエイは効く。エイが効くというより、エイの動きから取り出された気づきが効く。気づきはたった一行「彼にとって死ぬに値しないのだ」。もう覚えただろう。これでもうフレーズを携えている。私はプレゼンする前とか、新しい場所に飛び込む直前にはこのフレーズを取り出す。小心者なのだ。死ぬかもしれないとか思ってしまうとき、このフレーズを取り出すと、緊張がほぐれる。ほぐれはしないけれど。

「死ぬに値しないのだ」の反対は「生きるに値する」だと思うのだが、そこに関してもエイは特に興味を持っていない。「生甲斐でも生じたと思い直すのか」いやいや、エイがそう思っている可能性は限りなく低いでしょうと、すかさずツッコミを入れよう。生きようとも死のうとも思っていないのだから、生甲斐もないだろう。エイだし。ただ反復動作をくり返すだけ。

「でも私人間だし…」そりゃそうだ。というか、誰に答えてるのか。幻聴が聞こえているわけではないので安心してほしい。だけどさ、この詩は何も動物になって何も感じずに働けやコラーという話でもない。ただ「彼にとっては死ぬに値しないのだ」。エイになれというわけでもない。ただ彼はどこにいようが同じ動作を「反復」し、この世の中に死ぬに値するような絶望など何一つないかのごとく、ひらひらをくり返して見せてくれる。それは勇気でもない。勇気がないからといってチキンでもない。ただ、この詩のなかにあるひとつの気づきだけが、名前もなくそこにある。私はこの名前のないものをフレーズ単位で持ち運び、私が必要な時に使って生きる。これが私にとっての詩である。である、は大げさだ。これが私にとっての詩です。

とにかく詩は実用的だといいなーと思う。ヌケるならヌケる詩がいい。泣けるならヌケる詩がいい。笑えるならヌケる詩がいい。しつこいな。いい詩は多少取り出しにくくても、そのまま持っておけるから便利なのだ。そのままが大事。そういう詩は、ここぞ!という時にいい感じのフレーズを出してくる。着脱式である。そこには内在律とか音楽的要素も絡んでくるのだろうけれど、私にはわからん。コンクリートジャングルで生まれたからコスモを感じられん。今は「小気味いい」ぐらいの意味でとらえている。要は意味の面と音の面と前後の流れの爪状攻華でドワーッ!と椅子から転げ落ちるような詩がいい詩だ。で、これは詩の場合だと、なにも俳句的なリズムだから小気味いい、というのとはまたちょっと違う、ということは言っとかないといけないのかもしれない。そこらへんのことはまだよく分からない。

今回みたいにガチで使うタイプじゃなくても、あれは面白かったなーと思われる一瞬でも、じゅうぶん詩は使われているだろう。君は詩を書いて生きているのか!アスファルトに咲く花のようにか!ミリオンヒットに身を重ねたいと思いたくないからこそ、詩を読むのであろっ。我が夫となるものはさらにおぞましいものを見るであろっ。

生きるのに使える詩を書きたいというところが目標だ。その力が希薄なので困っているのだ。希薄なら高めねば。生きねば。ダイビング・スポットを探しに行く旅なのだ。頭のなかで天才バカボンのエンディングテーマが流れているのは大丈夫なのだろうか。

そういえばこの間、岡田隆彦の「ラブソングに名をかりて」の気分を味わうために、わざわざ東京まで行ったのだった。恋人もいないのに。それで元の彼女に電話して、開口一番に「アイヘイチュー」と言ったらめちゃくちゃ怒られて「この言葉、通じるのか!」と驚いたのだった。カタカナだし油断したが、これは「私はあなたが嫌いです」という意味の英語で、「ヘイ」は「ヘイトスピーチ」なんかにも使われる言葉なのだった。なんとなく気づいてはいたのだが、言わざるを得なかった。まあ、気分に浸るために、あんまり人に迷惑をかけてはいけない。東京の空は、やっぱり死ぬに値しなかった。うん、「死ぬに値しないのだ」。

えーと。これ以上書くこともないので、私からは以上です。

投稿ボタンを押さざるを得ない。約定解かれもうした!えいっ


自由詩 「反復」先田督裕 生きるための詩について書いた Copyright nemaru 2014-09-14 09:05:59
notebook Home 戻る