限りある人生について考えてみる(´・ω・`)
陽向



今 編

将来の為とは一体何だろうか?
明日死ぬと知らされて、将来の為と言える人はいるだろうか。

僕は明日死ぬと知らされたら、一時間ほど悲しみに暮れるかもしれない。
だけど、いつまでもそんな事をしていたら、過去ばかり見て死んでいくのだ。
この状況で過去についても未来についても考えている余裕はない。
考えてちゃんとやっていけるのは今だ。

限られた時間をどう使うか。
まず思い浮かぶのは、楽しいことをやる、やりたいことをやる。
いつかやればいい、と未来に委ねていたものを、今やる。
明日、僕は生きていないからだ。

もしも、僕の人生が1782ページあったとしても
今、618ページだとしても、残りは1ページなのだ。
そこに書き記すものは、楽しくありたい。やれずにいた、やりたい事を書き記したい。
最後の1ページに「いつか」はないのだ。
楽しいこと、やりたいことをやるという「成功」で締めくくりたい。
そして今を生きる為に、楽しい事、やりたい事、を出来るだけ積み上げる。
でも必ずと言っていいほど、楽しい事、やりたい事を妨げるものがある。
ここで大事なのは、明日死ぬのだ。妨げるもの、それは「失敗」である。
取り合っている暇などない。明日があったら、そこで諦めるだろう。
そして、無暗に辛くなるだろう。でも、明日はないのだ。
切り替えて、別の楽しい事、やりたい事を瞬時に探す必要がある。
コーヒーを飲む、本を読む、絵を見る。
なんでもいい、行きたい場所に行く、会いたい人に会う。次を探すのだ。
やっている内に漸く気付く。失敗も成功も「経験」なのだ。
失敗(という経験)を一つしたら、3つの成功(という経験)をすればいい。
明日、死ぬのだ。失敗のまま終わらせる人生なんて嫌なはずだ。
今、今、今、人生は常に今の連続である。
過去も未来も永遠に変えることは出来ない。
変えられるのは、連続した今だけである。

傷つく編

もしも、100万人が自分の悪口を言っていたら、どうだろうか。
知らなければ、僕は普通に生きていると思います。
傷付くというのは、知っているからそうなるのです。
知らなければ、全く関係ないのです。
おかしな人がいたら、知らない事にしましょう。
全然関係ないのですから。




散文(批評随筆小説等) 限りある人生について考えてみる(´・ω・`) Copyright 陽向 2014-09-08 19:03:10
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