笛吹き少年の行くえ(8)
Giton

天澤退二郎「賢治詩のゆくえ──「文語詩稿」覚書」,pp.171-172,in:同『《宮澤賢治》鑑』,1986,筑摩書房,pp.162-172.「かくした」動機ですが、「み神楽」(皇室祭祀令に規定された宮中の神楽)や天岩戸伝説の援用とデフォルメ、という点を見ると、当時としては「不敬罪」にもされかねないこれらの内容を隠蔽するため、ということも考えられます。治安維持法違反の疑いで(おそらく二度以上!!)取調べを受けた経験のある宮澤賢治ならば、自分の死後に家族があらぬ嫌疑をかけられることを恐れるのは、もっともなことだと思うのです。しかし、「かくす」推敲過程が見られるのは、この作品だけではなく、文語詩稿全般にわたっています。したがって、単に言論統制を回避するため、というようなことではなく、むしろより積極的に、そのような統制を含む当時の強圧的な政治的コンテキストを、《文学》の語りによってデフォルメし形相化して示そうとした──それが、「かくす」という“マイナスのエクリチュール(écriture: 書くこと)”には含まれていたと考えるのです。天沢退二郎『《宮沢賢治》のさらなる彼方を求めて』,2009,筑摩書房,p.154.天沢退二郎:op.cit.,p.127.このような意味で、遂行過程での大幅な削除・刈り込みは、単なる“書かないこと”ではなく、むしろ“削除によって書くこと”、ロラン・バルトの書名『零度のエクリチュール』をもじって言えば、“マイナスのエクリチュール”と呼ぶべき創造的営為だと考えるのです。
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   【8】 沈黙のエクリチュール


   下書稿(三)手入れ(3) 〔A〕+〔B〕

    なだれ    (了)

 塵のごと小鳥啼きすぎ
 ほこ杉の峡の奥より
 あやしくも神楽湧ききぬ
 雲が燃す白金環と
 白金の黒のいはやを
 日天子奔りもこそ出でたまふなり


いま、「下書稿(三)」の手入れ過程における・この作品の大胆な“刈り込み”の理解に関しては、天沢退二郎氏による次の指摘は、非常に示唆的に思われるのです:

「あの悲しく不吉な遭難譚は、この最終形態『雪峡』には見られない。この詩だけを読んで、その下書が『口碑』のごとき詩であったことを洞察せよというのは殆ど無理であるように見える。しかしそれではあの遭難譚は、この過程で完全に放棄されたのであろうか?〔…〕どうも私にはそうは思われない。この『雪峡』という詩の背後に、あるいは地下に、こちらからは見えないかたちで、『口碑』の遭難譚がかくれている。かくされている(辛うじてそれを暗示するのが《鳴るやみ神楽》のリフレーンであろう)。そして賢治の文語詩の生成過程──短縮とみえ凝縮とみえたその作業のひそかな本意は、こうして か く す こと、地下に地下構造を、地下礼拝堂(クリプト)をつくることにあったのではないか。だからこそその地上構造物は、定型韻律をいよいよ整えた“死後の歌”として、時間を超え空間を超えた語りの支配するものとなってゆかねばならなかったのではないか。」*1

天沢氏が「地下に地下構造を、地下礼拝堂(クリプト)をつくること」と言っている意味は、もう少し分かりやすく言うと、いったいどんなことなのか‥、必ずしも明確ではないのですが、
作者としての賢治は、単に“要らないものを捨てた”というようなことではなく、むしろ“捨てられないもの、沈黙の力によってこそ永久に語り伝えるべきもの”を表現すべく、あえてその明示的テキストの上に“うわ張り”を貼り付けて、ちょうど、教会堂の床に嵌め込まれた墓石が、クリプトの存在を示すように、「かくされた」テキストの存在を示した*2──ということであれば、私たちにも理解できると思うのです。

これを、概念図としてイメージしてみますと、次のようになると思います:






そして、上に手を加えた最終形でも、題名を「雪峡」に変え、「神楽」を2行繰り返して強調しているのが主な変更点で、“刈り込み”に関しては、大きな変化はありません:


   下書稿(四)手入れ(2)  〔A〕+〔B〕

    雪 峡

 塵のごと小鳥なきすぎ
 ほこ杉の峡の奥より
 あやしくも鳴るやみ神楽
 いみじくも鳴るやみ神楽

 たゞ深し天の青原
 雲が燃す白金環と
 白金の黒の窟を
 日天子奔せ出でたまふ


つまり、〔A〕断片にあった「口碑」──少年が雪崩に遭って命を落としたという言い伝えは、〔B〕断片の「神楽」と「日天子」登場場面が、その上に“貼り付け”られて、隠蔽されたままです。

そうすると、上の最終形で、〔A〕断片の大部分が隠蔽されてしまったあとも残されている〔A〕由来の2行:

「塵のごと小鳥なきすぎ」

「たゞ深し天の青原」

↑この2行が、非常に大きな意味を持ってくることが分かります。

この2行は、不慮の“事故”によって雪崩れに埋められてしまった少年の・紺の麻服の裾が、雪の中からわずかに覗いている──いわば“巧妙に隠された真実の・わずかに消し残された露頭”だと言っては、言いすぎでしょうか?

たとえ、誰かが、ひとびとの口を栓で塞いで、「口碑」を消滅させることができたとしても、空をちりのように飛ぶ小鳥──それは、風に飛ばされて来るきれぎれの言葉、ないし《詩的テキスト》《文学テキスト》を象徴します──を、一羽残らず消し去ることはできないし、“母なる空”の深みを侵すことも、できないのです。

「神楽」と「日天子」の現出は、天澤氏が次のように述べる意味での《政治的テキスト》によって、「口碑」を隠蔽し上書きするもくろみを、表現していたとも見られるでしょう:

「政治テクストの本質は、相対的〈正義〉や〈国益〉を旗印として他者を誘惑し、説得し、何とか思うように操ろうとするのを最大目的と」する。その目的のためには、「文学テクスト──〈真善美〉を基盤として他の何ものにも奉仕せず利用されぬことを本質とする文学テクストをも〔…〕利用して憚らない」*3

しかし、その「日天子」の現出を、宮澤賢治という作者が、

「白金黒」の岩屋から、「みだれて奔りいでたまふなり」「奔りもこそ出でたまふなり」「奔せ出でたまふ」

 ──などと、ほとんど風刺漫画カリカチュアに近いまでにデフォルメして描いて見せるのは、詩人(詩の作者)としての自分の「語りが『宗教テクスト』でなく『文学テクスト』であることを主張しているからである。」*4

このように、デフォルメされた怪異・幻怪として記紀神話を語り、隠蔽され沈黙させられた口碑をさえ、その隠蔽そのものによって、沈黙によって、“マイナスのエクリチュール”によって語りだすとき*5、宮澤賢治は、政治的アジテーターでも、宗教的リーダーでもなく、“文学”以外の何ものにも奉仕せず利用されぬ鋭い感性をもった詩人、ないし“詩鬼”であったのです。。。
文語詩『雪峡』を主題とする・おそらく唯一の論考(富樫均:「雪峡」,in:宮沢賢治研究会・編『宮沢賢治 文語詩の森・第三集』,2002,柏プラーノ,pp.224-231.)において、富樫均氏は、この詩について、次のような理解を述べておられます:

「この神楽(御神楽)の由来にてらせば、一連目の神楽の音は、二連目の『黒の窟』からあらわれる『日天子(太陽神)』の描写に神話を介してつながっていることがわかる。つまり、短い表現のなかで冬の谷間の情景に重なるように、天地創造の神話世界が見えてくるのである。」

「〔…〕その後の詩稿では、『口碑』の痛ましい記述はほとんど削除され、たしかに地下に収められてしまったかのようである。しかし、『口碑』の結びにうたいこまれた『救われた思い』〔「その児の頬かすかにわらひ/唇は笛吹くに似き」という「下書稿(三)」の末尾2行──Giton〕は、〔…〕『神楽』ということばに吸収されて、やがて『あやしくも鳴るやみ神楽/いみじくも鳴るやみ神楽」という美しい結晶(双晶とでもいうべきか)に成長したようにみえる。」

「『口碑』が『神楽』に生まれ変わり、天地創造の神話世界に詩想が拡大してゆく過程は鮮明である。」

たしかに、教科書的で当たり障りない解釈なのかもしれません。

しかし、「下書稿(三)」末尾2行を「救われた思い」と言って片付けてしまう読みは、どうなのでしょうか?‥この作品が訴えているものに、あえて目を閉ざしてはいないでしょうか?
そして、作者賢治の意に反して、「神楽」と記紀神話を美化してはいないでしょうか?

「日天子」の登場にみられることさらなデフォルメ、「み神楽」の怪異性、‥こうした部分に賢治が心血を注ぎ込んで表現しようとしたものを、私たちは、決して無視してはならないと思うのです。


ご完読ありがとうございました。
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*1 天澤退二郎「賢治詩のゆくえ──「文語詩稿」覚書」,pp.171-172,in:同『《宮澤賢治》鑑』,1986,筑摩書房,pp.162-172.
*2 「かくした」動機ですが、「み神楽」(皇室祭祀令に規定された宮中の神楽)や天岩戸伝説の援用とデフォルメ、という点を見ると、当時としては「不敬罪」にもされかねないこれらの内容を隠蔽するため、ということも考えられます。治安維持法違反の疑いで(おそらく二度以上!!)取調べを受けた経験のある宮澤賢治ならば、自分の死後に家族があらぬ嫌疑をかけられることを恐れるのは、もっともなことだと思うのです。しかし、「かくす」推敲過程が見られるのは、この作品だけではなく、文語詩稿全般にわたっています。したがって、単に言論統制を回避するため、というようなことではなく、むしろより積極的に、そのような統制を含む当時の強圧的な政治的コンテキストを、《文学》の語りによってデフォルメし形相化して示そうとした──それが、「かくす」という“マイナスのエクリチュール(écriture: 書くこと)”には含まれていたと考えるのです。
*3 天沢退二郎『《宮沢賢治》のさらなる彼方を求めて』,2009,筑摩書房,p.154.
*4 天沢退二郎:op.cit.,p.127.
*5 このような意味で、遂行過程での大幅な削除・刈り込みは、単なる“書かないこと”ではなく、むしろ“削除によって書くこと”、ロラン・バルトの書名『零度のエクリチュール』をもじって言えば、“マイナスのエクリチュール”と呼ぶべき創造的営為だと考えるのです。



散文(批評随筆小説等) 笛吹き少年の行くえ(8) Copyright Giton 2014-09-08 17:08:09
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宮沢賢治詩の分析と鑑賞