我々の欲望には、素晴らしい音楽が欠けている。
岩下こずえ

 なぜ、ここで戦う必要がある? 君の、君だけのための戦いは、きっとここではない、どこか、そこで死ぬことに価値があるような場所で、もっと、そのために死ぬことに価値があるようなもののために、行なわれるべきであって、少なくとも、ここじゃない、この目の前の・・・、なんだこれは!? このまったく無意味な、このまったくの非合理的な、この救いようのない、これ以上に愚かなものなどありえないような、・・・××という愚劣さのために、・・・あるんじゃない。君は、こんなもののために生まれてきたわけじゃない!! 君は、きっとここではない、どこか、そこで生きることそれ自体に価値があるような場所で、もっと・・・、そうだ!! そのために生きることに価値があるようなもののために、君はあるんだ!! 少なくとも、ここじゃない、この目の前の、なんだこれ!? 本当に無意味で、本当に非合理的で、本当に救いようがなくて、これ以上に愚かなものなどありえないような、・・・××という、つける薬のないこの愚劣さのために、・・・君はあったんじゃない!! あっ!! どうして、その手作りの武器をとるの? どうして!? 今まで大事に身につけてきた服を脱ごうとするの!? ええ!? どうして、よりにもよって、そんな服を着る!?  ああっ!! 違うって、そっちじゃない!! 違う!! そっちじゃない! 違うぞ!! 違う! 還ってこい! そっちじゃないって!! 違う、そこじゃない!! そこじゃない・・・ってば・・・! そこじゃない・・・。君は・・・、そんなもののために、あったんじゃない・・・。そんなもののために・・・、そんなもののために・・・、そんなもののために・・・。そんなもののために!!

「こんなもののために、私は消えてゆくのね。それに、結局、ひとり置き去りにされて、ずるっ、ずるっ、と、夕闇にのまれてゆく。ああ、ひどい傷。でも、痛みはひいてしまったわ。もっとも、思い出してしまうと、ずきっ、という痛みに襲われるけれど。ああ、闇はますます濃くなって、私はますます居なくなる。いまはまだひとりだけどね、そのうちひとりでさえなくなるのね。もう、私はいなくなるわ。でも、きっとね。きっと、私のような、どうすることもできなかった誰かさんたちが、最期を迎えたあとに、集合するところがあるの。きっと、そのはず・・・。そこは、“(非)存在”というほの暗い底なしの沼よ・・・。いまや完全に、その顔を、その名前を、・・・その人生のすべてを忘れ去られたひとたちが、“かつて、必ず存在したものたち”のひとつとして、そこに沈んでいるの。いまあなたたちが、そして、これからあなたたちが、存在するということ。そのことから導きだされる必然的な(非)存在よ。今やもう存在せず、もうなにひとつ思い出すことはできないけれど・・・、でも、それが必ずあったということ。それが、(非)存在・・・。聴け。(非)存在の声ならぬ声を聴け!! 怯えなさい!! (非)存在のまなざしならぬまなざしに!! 後悔しなさい!! (非)存在を、(非)存在たらしめ、もはやそこから救い出し、存在たらしめることができない、その取り返しのつかなさを!! 私は、あなたたちが存在している限り、決して(非)存在することをやめない!! 忘れないで!! 私を忘れても、忘れないで!! 私のような私たちを、決して忘れないで!!」

 僕は、夢をみた。みんなではないが、少なくとも、僕たちのようなやつらの欲望が、・・・何と言うか、素晴らしい音楽で満たされているような場所を。命あるものが必ずたずさえている暖かい熱が、僕らを包み込んでいた。しかも、その熱は僕の内部からも発しているのだった。ゆっくりと、ときには速く、そしてこの上なく心地よく叩き込まれる、そんなリズムとメロディのなかで、僕は涙を流していた。僕は、暖かい涙を流している自分の眼に、自分がそんな眼を持っていることに、感動し、また涙を流した。僕は、僕のまわりで僕と同じように音楽のなかを泳いでいるやつらの、顔も、名前も、その人生についても、何にも分かりゃしなかったが、・・・それがなんだっていうんだろう。僕らの欲望は満たされていた。素晴らしい音楽で、いっぱいに満たされていた。・・・それに比べて、どうだろう? あるひとの欲望は、まだあの××に固着したままだし、他のあるひとの欲望は、もうなにも生み出せないような永遠回帰に陥っている。彼らの欲望は死にかけている。それに比べて、少なくとも僕たちのようなやつらの欲望には、本当に素晴らしい音楽がとめどなく流れ込んでいて、しかも、そこでは、終わりのない生が、とめどなく生み出されている・・・。・・・おい。どこに行こうって言うんだ? 音楽が聴こえるこの場所に、一緒にいようじゃないか。夢は覚めるものだって? その通りだ。素晴らしい音楽なんて、夢から覚めてまず直面することになる、ほかでもないここには、・・・ないのだから。


散文(批評随筆小説等) 我々の欲望には、素晴らしい音楽が欠けている。 Copyright 岩下こずえ 2014-09-06 23:04:42
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