ヤクルト
夏美かをる
今日も同じ場所で立ち止まれば
聞こえて来る 母の明るい声
「あんたはヤクルトが大好きでね、
お風呂上がりに必ず一本飲まないと寝てくれなかった。
ある時買い置きがなくなっちゃった時があってね、
“ヤクルトだけは切らすな!”ってお父さんに叱られちゃったよ。
で、お父さん、ぶつぶつ言いながらも、
わざわざ買いに行ってくれたんだよ。
そんなことしてたら、小学校で初めての歯科検診で
虫歯がいっぱい見つかって、大変だったよ」
「えっ?ヤクルトを寝る前に飲ませて、
歯も磨かなかったの?」
「そうだよ、だってお前、
歯磨きはお風呂の前だったからね。
第一ヤクルトが歯に悪いなんて誰も教えてくれなかったし、
何処にも書いてなかったからね」
小さな手にすっぽりと収まる容器
まだ頼りない親指と人差し指を
しっかりと受け止めてくれる真ん中のくぼみ
赤地に銀色のライン入りの洒落た帽子
ヤクルトがYakultになった以外は
あの時と何一つ変わらない姿で
五つずつ綺麗に整列している
日系スーパーの片隅 牛乳売り場の隣
シャワーを終えた娘が
Yakultをごくりと飲み干して
私の膝の上に ストンと頭を乗せる
「ヤクルトを飲んで歯を磨かないで寝ると
ママみたいな歯になっちゃうからね〜」
立派な金歯、銀歯は
我が家に白黒テレビしかなかった時代の
素朴でぎこちない子育ての証
それを見て娘は「きゃあ!」と小声をあげる
小さな瓶口に合わせて唇をすぼませた可愛い表情を
毎晩午後八時三十分に見つめている
高さ八センチの容器にすっぽり入る大きさの幸せは
切らしたら、それきりになってしまいそうなほど
淡い甘酸っぱさで味付けされている
ステテコ姿で夜道を急いだ父が必死に護ろうとしていたもの
私も今 それにすがろうとして手を伸ばす、その先に
よそいきのおしろいを塗ったお母さんの肌の色の容器