いつかこころが目覚める朝に
ホロウ・シカエルボク






そいつは生まれてすぐに
数十年前に潰れた廃棄工場の
錆びた中古車の中に置き去りにされた
有刺鉄線を器用にくぐり抜けた母親は
数時間後に自宅近くで酔っ払ったタクシーに跳ね飛ばされて死んだ
そいつもすぐに
彼女の後を追うはずだった
だが
そいつが捨てられた中古車の中には
死産した雌猫がいて
彼女は気がふれていた
彼女はそいつに乳を与え
全身を舐めて綺麗にした
寄り添って眠り
あれこれと世話を焼いた
なにが良くて悪かったのか誰にも判らない
雌猫の乳は出続け
そいつは病気ひとつしなかった
夏の夜だったことは幸運だった
そいつが自分で動けるようになると
雌猫はそいつに食い物にありつく方法を教え
もう大丈夫だと悟るとか細く鳴いて死んだ
そいつはまだ死を理解しなかったが
日親が母親でなくなったことは分かった
母親だったものが腐り始め強烈な臭いを放ち出したので
そいつは車の中を抜け出した
後部座席にあった破れた毛布を一枚身に纏って
そいつは言葉を知らなかった
そいつは鳴き方を知らなかった
そいつは名前を持たなかった
ただ
生きようとする気持ちだけがあった
食べ物を探すなら森に入るのがいい
母親の教えに従い
森の中に潜り込んで
木の実やある特定の臭いのする草や
時折は新鮮な動物の死骸などを食べて数年を過ごした
毛布はとうに失くしていたが
長く伸びた髪が身体を覆いその代わりをしていた
身体中に絡みついた髪は
小動物を油断させるのに効果があった
動きさえしなけれは低木のようだったから
そして
足音を立てるほどには硬くはない足と
全身が筋肉で出来た軽い羽のような肉体と
何かを掴むのに申し分ないふたつの手が
そいつを立派な肉食動物へと変貌させた
そいつには死角がなかった
登ることが出来
泳ぐことが出来
飛ぶことは出来なかったが
石を投げればほぼ確実に当てることが出来た
十数年が経つ頃には
そいつは
森の王となっていた
比較的街に近いその森には
時々猟銃を持った奴らが訪れたが
全員喉笛を咬みちぎられて帰ることが出来なかった
「あの森には何かがいる」もう数年経つ頃には
ハンターたちの間で
そいつのことはちょっとした怪異譚のように語られていた
いつ頃からかそいつには名前がついた
ケモノビトというのがそれだった
ケモノビト

呼ばれるようになったそいつは
それでも時々手柄を立てようと森に忍び込む欲深なハンターを
いつからか楽しみに待つようになった
奴らの肉は
噛みごたえがあって美味いのだ
ケモノビトにとって彼らは
一番のご馳走となっていたのだ
その日も
ケモノビトは
愚かなハンターの喉を食いちぎり
その味わいに恍惚となりながら
ふと
この味をもっと楽しみたいと思うようになった
こいつらはどこに住んでいるのだろう?
この辺りにはこいつらのにおいはしないから
どこかからやって来ているのは間違いなかった
顔中をハンターの血で汚しながら
こんどこいつらが来た時には一人逃がして後を追ってみよう

ケモノビトは考えた
チャンスは
数か月後に訪れた
ケモノビトは
わざと急所を外し
ハンターを逃がし
血のあとを追って森を出た
だが
ハンターは車に乗り込み
エンジンをかけて走り去ってしまった
追いつけないことはすぐに判った
奴らは森を出ると凄く速い
ケモノビトはそう頭に刻み込んだ
ハンターが凄い勢いで逃げた時に乗っていたものを
ケモノビトはどこかで見たことがある気がした
そう
母親と一緒に暮らしていた
あれによく似ているんだ
あれよりもずっと綺麗だったけれど
確かめに行こうかと思ったが
あそこには母親でなくなった母親がきっとまだいるだろうから
あまり気が進まなかった
またでいい
そんなに急いでいることでもない
ケモノビトは
そう考えて眠りについた
その夜は夢を見た
母親が狩を教えてくれていた頃の夢だった
ケモノビトは母親の動きに集中した
きっとなにかヒントがあるはずだと思って
ケモノビトはその夢を入口に
ひとつひとつの出来事を丁寧に思い出して行った
そう
広く硬い道があった
そこは
暗い時間なら問題はないが
明るいうちにはとても怖いものがすごいスピードで走り抜けるので
その道に出るのはやめておけという教えがあった
あの「怖いもの」
あれが
逃がした獲物が乗って行ったものなのだ
ケモノビトは理解した
あれがあるところにはご馳走があるのだ
ご馳走を食らいに行こう
ケモノビトは森を出ることにした
母親と暮らしたところに戻ってみよう


ケモノビトが森を出る決心をしてからひと月後ほどたった頃
森からさほど遠くない街で
惨たらしい姿となった人間の死体が次々と発見された
彼らはすべて巧妙に隠されていて
腐敗が酷くなるまで見つけることが出来なかった
どうしてこんな場所に
というところに隠されていた
建物

空地
それらの盲点と呼べるような場所に
まるで
迂闊さを笑うかのように隠されていた
検死の結果彼らは皆食われていることが判った
街中に厳重な警戒態勢が施された
死体のそばには決まって
長い長い毛が落ちていた
人間の髪の毛だった
警察はその髪の毛から
取れる限りの情報を採取した
だが
過去に犯罪を犯した者のデータとは一致しなかった
彼らを困惑させたのはその長さだった
仮にこれが犯人のものなら
この髪の毛だけで相当に目立つだろう
だが
そんな人間の目撃情報はまるで入ってこなかった
夜間の外出は禁止され
執拗なパトロールが敢行されたが
それでも
僅かな油断を突っつくようにして
被害者の数はひとりずつ増えていった
証拠が残らなかった
時折残される髪の毛以外のものは
なにも
被害者には共通点がなく
無差別連続殺人と呼べるものだったが
そこには驚くほどに意思が感じられなかった
俺たちは何を相手にしているのだ
捜査に当たっている刑事や
警官たちは戦慄した
過去に起こったどんな事件とも違っていた
彼らの存在をケモノビトは常に感じていた
彼らはよくないものだという直感があった
彼らは自分の邪魔をしているのだということは判ったが
滑稽なほどに隙だらけだった
自分が潜んでいるすぐそばを通っているのに
全く自分の気配に気付けないのだ
ケモノビトはほくそ笑んだ
相手にならない
こいつらはきっと狩りをしたことがない
ケモノビトは彼らを襲うようになった
なにせ自分たちのほうから狩りやすい場所に来てくれるのだから
こんなに都合のいい話は無かった
抵抗されると力の強さに辟易したが
それでも隙だらけだったからなんとかなった
鉄のにおいがしていたから油断はしなかった
森に来るやつらが持っているものに似た
火を噴くやつと同じにおいがしていたから
こいつらは皆引き締まった肉体をしていて
存分に食い応えがあった
ケモノビトは食事を終えると
そこら辺を舐めてきれいにした
足に巻きつけた髪の毛は特に丁寧に舐めた
それが一番大事なことだった


それでも次第に狩りは難しくなってきた
とにかく数が増えてきて
狙い辛くなった
彼らは動物を連れていて
そいつらがケモノビトのにおいを嗅ぎ回った
危ないことも何度かあったが
どうにか凌ぐことが出来た
ここで狩りをするのはもう止めたほうがいい
ケモノビトはいったん森へ戻った
その街では数十人が犠牲になった


ケモノビトはしばらく森の中で大人しくしていた
ご馳走を食うには厄介なことが多々あるようだということを理解した
今度は森の反対側へ出てみようか
などと考えていたある時
森に入ってくるたくさんの気配を感じた
ご馳走を食いまくっているときに感じていた気配に似ていた
探しに来た
ケモノビトは木に登り
下からは見えない枝を伝って森を移動した
ここは安全ではなくなった
森を出ることに決めた
たくさんの気配をやり過ごして
暗くなるころに森を抜け出した
森を抜けた所には山があった
ケモノビトは山を登った
そこには食いものがたくさんあった
小さな動物を食いながら
ケモノビトは山の奥深くへ入って行った
そこには小さな村があった
あまり人の気配がなかった
ケモノビトは崩れかけた家の中に入って
そこを自分の住処にすることにした


そこでの暮らしは穏やかだった
ケモノビトはなぜかこれまでにない穏やかな気持ちで
のんびりと日々を暮らした
ある日
まだ日のあるうちにあたりを散策していると
村の外れの建物で一人の老婆にばったりと出会った
「あらまあ」と老婆は言った
ケモノビトは困惑した
いつもなら身を翻して逃げるのだが
この生物にはなにか奇妙に気を引くものがあった
「あんたヒトかい?」老婆はそう話しかけた
ケモノビトは髪の毛の間から彼女をじっと見た
「わかんないかね」老婆はそう言って彼を手招きした
ケモノビトは少し迷ったがついて行った
彼女はケモノビトになぜか母親を思い出させた
そのわけはすぐに判った
彼女の住処は猫だらけだった
彼らはケモノビトを見て一瞬身を固くしたが
彼の持つ気配からこれは仲間だと判断した
「これはまた変わったやつが来たな」と一匹の年老いた猫が
興味津々で近づいてきて彼のにおいを嗅ぎ
血のにおいを感じて顔をしかめた
「いいかい」と老猫は言った
「ここに居ればあんたがこれまでしてきたようなことはしなくていい」「しちゃいけない」
「このヒトは俺たちを生かしてくれる」「あんたはまともな暮らしというものをしたことがないようだ」「ここに住んであのヒトの言うとおりに生きてみろ」
ケモノビトは相変わらず困惑していたが
とりあえずそうしてみようと思った
ケモノビトが判ったという仕草をすると
他の猫たちも集まってきてよろしくと言った
「あらあら」老婆が笑いながら言った「もう仲良くなったのかい」
「いい子だね」老婆はケモノビトの頭を撫でた
ケモノビトは驚いたが
なぜかそれが心地良かった
ケモノビトは喉を鳴らしながら老婆に身体を預けた
「重いよ」と老婆は笑った
「あんたの名前を決めなくちゃね」老婆は少し考えた「ヨシヒロでどうだい」
「あたしの息子の名前なんだけどね」「もう死んじまってるから使ってもいいだろ」
ケモノビトは無意識にその言葉を繰り返そうとしていた
だが
ろくに声など発したことのないケモノビトの発音はまるでなっちゃいなかった
「ヨシヒロ」老婆はやさしく微笑みながらゆっくりと繰り返した
「ヨ・シ・ヒ・ロ」
「ヨ…ヒシ…シ…ヒ…ロ…」
ケモノビトは確かめるように何度か繰り返した「ヨシ…ヒロ…」
そしてケモノビトはヨシヒロになった
「良くなってきたじゃないか」老婆は手を伸ばしてヨシヒロの頭をぽんぽんと叩いた
老婆にそうされるとヨシヒロはなにか不思議に気持ちが浮かれてくるのを感じるのだった
「飯にするよ」そして老婆は猫と自分に一皿ずつ簡単な食事を用意すると
みんなで円になってそれを食べた
ヨシヒロにとっては初めて見る食べ物だったが
初めに話しかけてきた老猫と老婆があれこれと世話を焼いてくれたおかげでどうにか食べることが出来た
「美味いだろ」「これは全部あたしが作ってるんだ」
ヨシヒロは老婆をじっと見たが彼女が何を言っているのか理解出来なかった
老婆はふっと笑って言った
「あんた賢いんだね」「あたしの言うこと聞けばもっと賢くなれるよ」


三日もすればそれまでそこで老婆と暮らしていた猫たちとヨシヒロとの関係はすっかり仕上がっていた「あなたは猫なの?それとも人間なの?」と若い雌猫が聞いた
「人間?」とヨシヒロは聞き返した「判らないの?」
「おれは君たちと同じ…猫という生物に育てられたんだ」「おれは自分がなんなのかなんてよく判らない」
「あなたは人間だわ」と雌猫が言った「そのもじゃもじゃした毛を取っちゃえばきっとそれらしくなるわよ」
その時ちょうど老婆が新聞紙と鋏を持って現れた「ヨシヒロ」
ヨシヒロは老婆のもとへ行った
雌猫もついてきた「ほら」「切ってくれるのよ」「サンパツって言うのよ」
「サンパツ」「そうよ」
老婆はその間に新聞紙を畳の上に敷き
それが終わると新聞紙の上に椅子を置いた
「ヨシヒロ」「ここに座りなさい」
ヨシヒロはよく判らずに椅子の周りをうろうろした「ほら」
老婆がヨシヒロの身体を起こして椅子へ座らせた「上手く座れないようだね」
「もっと身体を起して」「背を伸ばして」「そうよ」
十分ほどしてヨシヒロはきちんと椅子に座ることが出来た
「そうよ」「少しは人間らしくしなくちゃね」
「ニンゲン」「そうよ」
「あんた本当は人間なんだよ」
雌猫がほらねという調子でヨシヒロを見上げた
ヨシヒロの散髪は三時間かかった
老婆は「ああ疲れた」とぼやいてすぐに寝てしまった
ヨシヒロは初めて自分の肌を見た
ご馳走だと思っていたやつによく似ていた
「見違えたわよ」と雌猫が言った
どれどれと
他の猫たちも集まってきた
「器量良しじゃないか」「ガイジンみたいだ」
「服を着なくちゃな」「服ってなんだ」猫たちはヨシヒロを箪笥のある部屋へ連れて行った
「どっかにキモノだかユカタだかいうものが入ってる」「探して着ておけよ」「そんなの見せびらかしてたら婆さん盛りがついちまうぞ」「キモノとかユカタってどういうものなんだ」
「そんなのおれたちに説明出来るわけ無いだろ」「身体のつくりが違うんだぞ」
「うるさいね」寝ていた老婆が声を聞きつけて起き出してきた「何を騒いでるの」
「キ…キモノ」「ユカタ」「フ…フク」とヨシヒロはなんとか言った
「ああ」と老婆は頷いた「用意してるから待ってな」
老婆はすぐにシャツとジャージと下着を持って帰ってきた「初めは動きやすいほうがいいだろう」「これから穿くんだよ」老婆は見本を見せてからトランクスをヨシヒロに渡した「判るかい」ヨシヒロは老婆のように立って穿こうとしたが上手くいかずに仰向けに寝ころんでなんとか穿いた「次はシャツだね」これも老婆が一度着て見せた
ヨシヒロはやはり立っては着ることが出来なかったが壁にもたれて座りながらどうにか着た
「上手いじゃないか」「だけどいつかはあんたも二本足で立たなくちゃね」「にほんあし」「そうだよ」「人間なんだからさ」「にんげん」ヨシヒロはまた寝転がってジャージを穿いた「長いのは難しいだろう」老婆が裾から足を出すのを手伝ってくれた


ヨシヒロはそれから少しずつ人間になるための練習をしていった
初めは二本足で歩くことからだった
すべての動物は歩くことから始めるのだ
たとえそれが定義の難しいヨシヒロのような生物であってもだ
とはいえヨシヒロの場合は筋力も骨格も申し分なかったから
ほんのちょっとしたコツを覚えるだけですぐに立つことが出来た
歩くことが少し難しかった
なにせ猫だと思い込んで暮らしていた人間だったわけだから
「足だけで立つことが出来るようになるとすごく便利になるよ」「なにせあんたには立派な手があるんだから」「あたしの歩き方を見てごらん」老婆はゆっくりと歩いて見せた「あたしは少し腰が曲がってるけどね」
ヨシヒロはしばらく上手くバランスをとることが出来なかったが
老婆を真似るうち次第に出来るようになった
一度コツをつかんでからは早かった
走ることだって出来るようになった
二本足で歩くことは確かに便利だったけれど
四本足で歩く時ほどの爽快感は無かった
「そりゃ人間はそんなに急いで走ることなんかないからな」「あいつらは乗物っていうのをいろいろ持ってるんだ」「行先に応じていろいろなものに乗り換えたりするのさ」「…さっぱり判んないな」「しっかりしろよ人間」
歩くことと走ることがきちんと出来るようになったあたりで
老婆は自分の畑仕事を簡単なことからヨシヒロに手伝わせた
必要に応じて少しずつヨシヒロは言葉も覚えていった
「ご飯」「種まき」「服」「耕す」「布団」「猫」「お婆さん」「畑」
「人間になってきたじゃないか」老婆は嬉しそうにしていた
嬉しそうじゃないのは若い雌猫だけだった
ヨシヒロがそこで暮らし始めて一年が経ったころ
いろいろと教えてくれた老猫が死んだ
寿命だった
こういうのは前にも見たことがある
とヨシヒロは言った
「母さん」「母さん?あんた母さん居たの?」「猫の…母さん」「育ての親かね」
「母さんもこんなになった」
「そうか」と老婆は頷いた「これは死ぬということだ」
「死ぬ?」「寿命が尽きたんだ」「命は古くなるんだ」「古くなっていくとだんだんと動きが悪くなる」「そして動かなくなる」「動かなくなったときに死んだと言うんだ」
「僕も死ぬ?」「あんたはずっと先だよ」「お婆さんも?」「あたしはもうすぐだろうね」「猫たちも?」「生きて動いているものはみんなさ」
「死」とヨシヒロは言った
そして
布団に寝かされた老猫をじっと見た
まだヨシヒロはそれを理解していなかった
ヨシヒロは困って老婆を見た
「すぐに判るさ」老婆はそう言ってヨシヒロの頭を撫でた
「生きてるんだから」


数年が過ぎた
ヨシヒロはほぼきちんとした人間になり
老婆は老い
猫は少しずつ減って行った
そのころにはヨシヒロも理解していた
「生きているものは動けなくなる」それが死だと
老婆は家の中のこと以外はすっかりヨシヒロに任せるようになった
ヨシヒロはひとりで上等な米や野菜を作った
二人と数匹の猫で生きていくには申し分ない量だった
穏やかで少しずつ失われていく暮らしは
淡々と過ぎていくように思われた
ある日の朝だった
ヨシヒロが畑に出ていると
一人の男が山から降りてきた
「あの」彼はライフルを持っていた「ちょっと聞きたいことが」
ヨシヒロは振り返った「誰ですか?」男はヨシヒロを見てひどく驚いた顔をした
ヨシヒロはその男をどこかで見たことがあるような気がした
「見つけた」と男が言ってヨシヒロに銃口を向けた
ヨシヒロはそれで思い出した
「逃がしたやつ」だ
ヨシヒロは獣に戻った
咄嗟に危険を感じ取った
銃口が引かれる瞬間に男に飛び掛かり組み伏せた
まだ早い朝の中に銃声が轟いた
ヨシヒロは男の首筋に咬みついた
一気に引き裂こうとした
「よしなさい!」
ヨシヒロは身体を起した
老婆が銃声を聞きつけて出てきていた
数匹の猫もだった
「よしなさい」と老婆はもう一度言った
「あんたは人間なんだ」「そんなことしちゃいけない」
ヨシヒロは少し迷ったが老婆の言う通りにした
「こっちに来なさい」老婆はヨシヒロを呼び寄せ
自分の後ろにつかせた「なんでこの子を撃つのかね」「ここはあたしの家だよ」
「そいつは人食いだ」と山から降りてきた男は話した「昔はその山の反対側に居た」「俺の友達はそいつに食われたんだ」老婆は眉ひとつ動かさなかった
「もう人食いじゃないよ」「この子はここへ来て人間になったんだ」
「そんな勝手な話があるか!」男は叫んだ「償わせる!」男は上着の中から小銃を取り出した
ヨシヒロは反射的に老婆の脇をすり抜け
男に飛び掛かった
だが
今度は男の引鉄のほうが早かった
弾丸はヨシヒロの額を撃ち抜き
ヨシヒロは地面にうつ伏せに倒れた
老婆は厳しい顔でヨシヒロを見下ろし
それから男を見た
男は後ろめたい表情で老婆の視線を受け止めた
「それがあんたの思う正義なら」「あたしがあんたをここで殺したって構わないわけだね」
男は何も言わなかった
黙って背を向けて村の出口へ歩いて行った


数匹の猫がヨシヒロの周りに集まっていた
静かな目でじっと動かなくなったヨシヒロを見ていた
老婆は懸命にヨシヒロを引き摺って庭の広い所に連れて行き少しだけ土を被せた
「埋めてやりたいところだけどあたしにはもう無理なんだ」「いろいろな生物があんたの命を引き継いでくれるよ」
老婆はぜいぜい言いながら家に戻り
仏壇の前に座って長いこと経を上げた
ヨシヒロの身体はしばらくの間酷い臭いを上げたが
それに魅かれてやってきた様々な生物が一昼夜かけて彼の身体を綺麗にした
老婆は庭の見える位置にずっと座って
そんな得体の知れない生物の終わりをしっかりと見届けた
雨がヨシヒロの骨を綺麗にしたあとで
少し土を掘って簡単な墓を造った
猫たちと一緒にその前で長いこと祈った
「さて」やがて老婆は顔を上げていった
「あんたたちのご飯を作らなくちゃいけないね」


そいつが生まれて二十五年目の
穏やかな春の日のことだった












自由詩 いつかこころが目覚める朝に Copyright ホロウ・シカエルボク 2014-07-07 02:37:32
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