排気ガス、五十音表、あぶら
はるな


あなたは夏のひとだった。雨のない笑顔をしてわたしを不安にさせる。長い手足をなめらかに泳がせて、いつもすがすがしく気持ちをかきまわしてくれたのだ。いつぞやのモーテルは名前だけ変えて、その窓の多くに過去を持っている。開けられるべきではないそれらをかんたんに開いて、排気ガスをまるでいいものみたいに吸い込んでいた。
五十音表の、(あるいはアルファベット表の)、文字ひとつひとつに紐をつけて―「あ」には「あわれ」、「い」には「痛い」、「う」には「うれしい」などと―眺める。しだいにそれはたんなる表ではなくなって―あなたを思い出すたびにもともとある以上の深みに落ちていくのと同じで―、あわれで、痛い、うれしいものになる―わたしは、何かを感じるよりもさきに五十音表を探すことになる。何を感じるよりもさきに来る一瞬の混乱が、あるときよりは短くなり、そして深くなった、するどい注射針で星をついたような。

変わることも変わらないこともおそろしいことだった。選ぶことも選ばれることもおそろしく、せつないことだった。すぐにひとを好きになって、そしてどうでもよくなった。赤ん坊は、生まれてからすこし、血なまぐさいのが過ぎたころ、思いのほかあぶらっぽくあった。ひたいの、生え際にかたまるあぶらをなでながら、これは何かに似ている、もしかしたらわたしが、あらゆるものに恐怖しながら、同時にあらゆるものにひどい態度をとることを何とも思わなかった、それでいてそのことに心底落胆して、あれはわたしのあぶらだった。何もかもが絶対に必要だったと思う、それでも、正当化することはできない色々を、こんなに遠くまできてしまっていったい誰に許しを乞えばいいのだろうか。



散文(批評随筆小説等) 排気ガス、五十音表、あぶら Copyright はるな 2014-06-06 18:38:54
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