◆精霊はその望むところに息吹をかける◆ (ファーブル昆虫記五巻を使ったコラージュ詩)
こひもともひこ

本能を呼びさます最高の力は母性である

個体の保存よりも重大な利害のある種の維持をつかさどっている母性は、最も愚昧な知性の中に、脅威すべき先々までの用意を呼び起こす。

その祖先たちの手でだんだんとつくられ伝えられたその精力【エネルギー】は、我々の脈管の中に浸透して、我々の衰えるのを防いでいる。

物質を支配する物理学的法則の上に、本能を支配する別な法則が高くたっている。

お前はまだ知らないことを仲間から一度も教えられなくても、またそれを覚えなくても、お前の仕事、十分な平和と食物、人の世では手に入れるのにあんなにも骨の折れるものを与えてくれるお前の仕事を、この上もなくよく知っているのだ。

本能は将来を見ている。

彼は「お前はそこを噛め、ほかを噛んではならなぬ」といってくれる本能の命令する声に従っているのである。

能力の起源は我々にはわからない。

我々は我々を囲んでいる測り知れない未知の世界に対しては、生まれながらの盲人である。

何故ここにはある才能があり、かしこにはちがった才能があるのであろうか。

我々の知識――我々の足りない力に較べればひどく壮大で、また、際限のない未知の世界の境を前にしてはひどくみすぼらしい我々の知識は、絶対の実在について何を知っているであろうか。

幾千も幾千もの疑問が沸いてくる。

ものの「如何にして?」と「何故?」との領域に足を踏み入れることが危険なことは私も知っている。

が、危険だからといって、このような突進を断念せねばならぬであろうか。

脳、これは我々にただ「二二が四」といわせることができるだけにしても、霊魂の最も驚異すべき道具ではないか。

世界は、ただ我々がこれについて作る思想によってのみ我々の興味をひく。

思想がなくなれば、一切は空しくなり、混沌となり、虚無となる。

思想と理性の微光を呼び入れなければならない。

真理は邪魔な滓を取りのぞかれたとき、はじめて、従来我々に教えこまれたものよりもはるかにすばらしい姿で輝きわたることがある。

たましいの炉火でその冷たさに熱を与え、それにいのちを与えなければならない。

美は至るところにある。

そもそも美とは何であるか。

動物にとって真に美的なものが存在するであろうか。

我々のいう美と醜、清潔と不潔とが、自然にとっては何であろう。

自然は汚物をもって花を創造し、わずかばかりの糞尿から我々のために祝福された麦の穂をとり出してくれる。

生の偉大なる全体【インテグラール】は、丁度幾何学者たちの積分【インテグラール】がゼロに近い量で構成されているように、こうした無に近いもので構成されているのである。

遠近を問わず、この利益を受けるものをすべて数えあげるということは、生物のつながりが解けないほどしっかりと絡み合っているため、不可能である。

「最小のものに最大の驚きあり」
maxime miranda in minimis

ああ、突然輝き出る真理の聖なるよろこび、これに較べられるよろこびが世にまたとあるであろうか!

上に昇ってゆく花火は昇りきって頂点に達するとはじめて貯えておいた色とりどりの輝かしい火花を散らす。

それから努力に疲れ果てて、その物質はもと出て来た名もないあのもの、生物の共通の根源であるあの分子への崩壊へ立ち戻るのである。

それから、すべては再び夜の闇につつまれる。

消え去った智慧の閃きを再び燃すものは何もない。

一切は一切がまたやり直すために終わる。一切は一切が生きるために死ぬのである。

何故?

一番小さなものから一番大きなものに至るまで、誰か苦労の種のないものがあろうか。

苦労の種は生命と共に生まれる。

何故?

掠奪、強いもの勝ちという憎むべき権利は、人間というけものだけが持っている専有物ではない。

何故?

生きるべく定められていたものは、とにかく生きるが、それはほかの形の下においてだ。

何故?

生物全体の利益のために、死の鎌は有り余るものを刈り取るのである。

何故?

答えは問に果てしなく続きながら、しかも決して最後の礎石、堅固不動な立脚点に到達することはないであろう。

しかもその答えは可能でない。

おお、本の中ではあんなにも勝ち誇り、現実に直面しては全く役に立たない素朴な理論よ。

なんと、理論よ、お前はこれをどう考える?

おまえの根も葉もない幻想を真理だなどと振りかざすのはよしてくれ。

私はこれについて絶対に何も知らないとはっきりいっておこう。

本能は正常の条件内だと、その誤ることのない叡智によって我々を讃嘆させるものであるが、常とはちがった条件が突然起こると、その愚かな無知によって、それに劣らず我々を驚かせる。

事実を積み上げるということは知識ではない。

それは冷たい目録である。

道具は職人を作らない。

それは過去を知らない。

伝統の密林の中に時おり斧を入れることはよいことである。

既成観念の束縛を振り切ることは有益なことである。

ただし、これはその美を認める能力のある眼があるということを特に条件としての話である。

秩序とは一体何であるか。

調和とは一体何であるか。

我々はいつかそれを知ると自負することさえできるであろうか。

この神秘の国では、足をとられやすいものである。

それを飛び越えてさきへ進もう。

もうその時である。


◇◇◆

メモ:
すべての行は、文章を切り出して使用した。文の組み換えや、単語の入れ替えはせず。
「何故?」のみ、切り出したものを複数回使用している。

テキストは『完訳 ファーブル昆虫記 5』山田吉彦・林達夫 訳(岩波文庫)


自由詩 ◆精霊はその望むところに息吹をかける◆ (ファーブル昆虫記五巻を使ったコラージュ詩) Copyright こひもともひこ 2014-05-12 04:31:20
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