Amekuri
Debby

 雨繰りはもうずっとその町に暮らしていた。都下電車で49分。辛うじてマンション販売の吊り書きに「通勤一時間」と書ける街で、彼は暮らしていた。
 暮らし向きはそう捗々しくない。週に四度ばかり都心に働きに出る。日当で一万四千円、悪くない稼ぎだが仕事はそう多くもない。彼が週に六日働けば、誰かの仕事がそれだけ減る。本人には大変失礼な話だが、誰の仕事が減るかはおおよそ察しがついている。シンドウさんは物覚えこそ悪いが悪人ではない、だからそれはあまりよろしくない。そういうわけで雨繰りは週に四度の働きに満足していた。

 雨繰りは平日に休む。大体は月曜日だ。彼の住む町には二軒の床屋があり、そのいずれもが示し合わせたように月曜を休む。たぶん、本当に示し合わせたんだろう。なにせ狭い町のことだ。かつて、カラオケスナックの女の子を巡って転げあいの乱闘を展開した店主たちは、今日も通りを一つまたいで同じ町に暮らしている。
 雨繰りはかつて、この日々に少しばかりの嫌気がさし、自分でバリカンを買って風呂場で自ら刈り上げてしまったことがある。それほど旧い話ではない。だから、彼の頭は今なんとも表現しがたい状態だ。早く切ってしまいたいが、どうにも休みは月曜である。しかし、坊主頭の日々にはすっかり嫌気がさしてしまった。一つの嫌気が去って、また一つの嫌気がやってくる。

 雨は降らせない。もうずっと昔、雨繰りはそう決めた。彼に雨を降らせるよう頼む人々はずっと昔からいたし、今だっている。ずっと昔のご先祖が祈りを空に届けてから、彼の一族はずっと雨を繰り合わせて生きてきた。それはとても憂鬱な作業だった、雨繰りが働けばシンドウさんの仕事が減る。世界はそんな風にできていた。
 だから、雨繰りは憂鬱なマラソン大会の日も、朝一番から全校朝礼がグラウンドである真冬の日も雨を降らせなかった。絶対に降らせない、明日はピーカン晴れだ、と彼は教室の真ん中で言い放った。僕は君たちのために雨繰りなんてしない、と。

 雨繰りは働くのが好きだ。しかし、だからって休むのが嫌いというわけでもない。働いて休む、この繰り返しに嫌気がさすことはなかった。それはとても良いことだったと彼は思っている、自分は嫌気に対抗できる人間ではないから、と。
 豆腐を一丁と、少し張りこんでうまい鱈を買う。良い魚屋と良い豆腐屋が雨繰りの住む町にはある。空は曇り模様、雨が降るかは五分五分。さて、雨を眺めての湯豆腐と洒落込みたい。雨よ降れ、と彼は念じた。しばらくして、彼が家の鍵を差し込んだその時に雨が降り始めた。少し温みを含んだ春の雨だった。フローリングを転がる黒豆のような音を立てて、彼は降り始めた。

 雨が降ると多くのことを考えた、それは大体が他愛もないことだったり、あるいはもう取り返すことのできない失敗だったりした。繰り合わせは、少なくとも彼には難しかった。父のように器用ではなかった、と雨繰りは考える。父にはいつも取り巻きがいた、彼は多くの時間を他人と共有していきていた、すべてを奪い取ったり奪い取られたりしていた。繰りまわして繰り回して、これ以上触るところなんてない、というところに辿り着いても、彼は繰り返しを止めなかった。

 雨の日に雨繰りは失敗した。晴れた日にも彼は失敗した。大事な人との約束を忘れたし、かけるべき言葉はいつだって間違っていた。自分の身振りが間違った意味を伝えていることが、彼にはわからなかった。父にはわかったのだろうか?いや、彼もわからなかったのだろう、だから我々は親子であることをやめるしかなかった。彼は繰り合わせた、僕は繰り合わせられなかった、それだけのことだ。
 父が降り始めた。途方もなく強い雨だった、なにもかもが押し流されてしまうような気がしたが、目が覚めても町はそこにあった。いつもの朝だった。父は止んでいた。

 雨繰りは色んなものが好きだ。自転車が好きだしお酒も好きだ、始めるお金はないけど鉄道模型だって好きだし、アクアリウムだって好きだ。人だってそうだ。どんな人も、大体は嫌いじゃない。問題は大体の人が雨繰りを嫌うことだ。でも、それもまた仕方がない。だって、僕は繰り合わせられないのだから。

 自分のために雨を降らせる人間には何も残らない。そんな風に父は言っていた。では、父には何が残っただろうか?たくさんの参列者、お悔やみの電報、泣きわめく人々。なるほど、あまりにも豪勢だ。でかい皿に乗った中華料理みたいに、彼は残していった。さんざんに食い散らかして、テーブルの上に山と残して去って行った。
 畜生。

 シンドウさんが辞めてしまって、雨繰りの仕事は週に六日になった。雨繰りと同じ仕事を覚えられなかったシンドウさんが、次にありつける職のことを考えそうになってやめた。
 繰り合わせられることと繰り合わせられないことがある、もうそれは知っている。雨繰りは相変わらず月曜を休む、まだ髪を切ることは出来ていない。
 彼はそれでもなるべく繰り合わせようと思う。自分のために雨を降らせるにしても、ほんの少しくらいは。まるで降り始めた霧雨のように何気なく、それでも彼は雨繰りだった。嫌気がさすほど、彼もまた雨繰りだった。


自由詩 Amekuri Copyright Debby 2014-04-01 01:53:26
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