責任
葉leaf



10代の終わりころ、私はろくに人としゃべれない少年だった。ごく限られた友人と家族だけを相手に会話し、それ以外の広大な人の群れに対しては固く口を閉ざした。自分の言葉はすべて不適切であり、自分の言いたいことを正確に言っているとはとても思えないのだった。だから私は人から話しかけられるとぎこちなく吃り、場の雰囲気を気まずくするのが常であり、その度にやり切れない思いをした。私は他人が怖かった。他人はすべて自分より格上であり、他人におびえながら暮らしていた。教室の机に座っているときなど、自分の視線が他人に迷惑を与えていないかどうか、いたたまれなくなることもあった。だが、そうやって私は自分を安逸な地点に置き去りにしていたのだった。

転機はやって来た。私の気弱さに付け込み、ことあるごとに私に嫌がらせをしてくる連中が現れたからだ。私は苦しかったがどうしてよいかわからなかった。しかし誰も助けてはくれなかった。そのとき、私は自らに対する責任を感じたのだった。限りなく透き通った声のようなものが届くのを感じたのだ。それは、自らを改造していく義務であり権利であった。私は私に呼びかけ、私は私に呼びかけられた。私の内部には弱い自己とそれを乗り越えようとする運動する自己が分裂し、互いに闘いあいながら次第に私は弱さを克服していった。あるとき電車に乗っていたら、ふと隣の人を見て、「俺はこの人を今この場で殺すこともできるのだ」そんな考えが閃いた。それは、私が私に対して背負っていた責任を閃きと共に果たした瞬間だった。私の私に対する勝利の瞬間だった。それ以降、私は他人に怯えることがなくなった。責任は葛藤を引き起こした末に、ガラスのように美しく砕け散ったのである。

社会人になるにあたって、今度は社会とのせめぎあいがあった。社会は単純な敵ではなかった。社会は攻略すべき相手であり、その表情一つ一つに敏感に反応し、的確な一手を指して行かなければならない相手だった。社会が一体自分にどんな責任を課しているのか、まずそれを特定することから始めた。一方で、私の方でも社会の利用できる部分は利用し、社会に多数の責任を投げかけていった。私と社会とは、このように責任を投げかけ合ったり探り合ったりする中で、微妙な調整的闘いを遂行し、やがて併行しながらも交わらない一つの軌道に収まった。私は自らの能力に応じた職を得て、社会は私という役割主体を獲得した。私と社会との闘いは、この安定した線上でも常々更新されていき、お互いの責任の投げ合いはこれからも果てしなく続いていくであろう。闘いは、闘う者同士が責任を負いあうということである。そしてこの責任は、植物のように可憐に咲いて枯れての周期を巡ることもあれば、永続する炎のように不規則に辺りを照らし出すものでもある。責任はこの上なく親しい循環であり、ともに循環し合う流動性を互いの肉体で証し続けることである。


自由詩 責任 Copyright 葉leaf 2014-03-31 06:57:42
notebook Home 戻る