二十一世紀を燕が思う
イナエ

 
それは地球環境と生命保存の本能の間で 気の遠くなうような長い年月をかけて作り上げられた習性。長い飛行距離とエネルギー消費の少ない飛行のできる翼と飛び方は 遙かな祖先からの経験の継承と あまたの選択肢から選び抜かれ 洗練されて 本能にまで高められたもの。 

島毎に異なる人間の家の作りや暮らしを検討し 幾つもの海峡を渡って 巣作りに適した土と 育児に適した餌の豊かな島にたどり着く。地球の自転が作り出す空気の流れを利用するとしても 危険の多い長い旅 人はそれをワタリと言う。

春 この島に着くと 我々の飛ぶ姿を見上げる人々の顔は 喜びに輝いていた その姿を見れば 長い旅の疲れも忘れて 羽を開いて滑空する 元気な姿で応えたものだ 

人間は巨大な都会に集中して 村の人家が少なくなったのだろう 歓迎してくれた村のこどもたちの姿が見えなくなり その少ない人家も 適度なぬくみを持ち土の張り付きやすかった軒の壁は 固いコンクリートになって 寒暑の差が激しく営巣に適した梁は消えて適所探しもままならない 巣立つ寸前まで成長させて雛を襲うずるがしこい蛇は少なくなったけれど 水田も少なくなって 豊富にいた羽虫は少なくなり 子育てに必要な餌も 遠くまで採りに行かねばならなくなった

ようやく巣立った子ツバメが数羽 羽をばたばたさせる稚拙な飛行で餌取りするのを眺めていると 不意に生命伝承の危機感が沸き上がる。かつては 訓練する子ツバメ同士のニアミスも多くあったが、今では 一家族がパタパタ飛んでいるほどに減った。休憩のために電線の場所取りを争う姿もなく 激しい気性のつばめが減ったようだ。 

一方で 飛行訓練に適した 安全な広い空間は電線で区切られ 地上近くではプラスチックや金属製の走る獣に不意打ちされ 未熟な子ツバメが逃げ切れなくて 衝突する事故も起きている。

今はこの島国が本当に営巣に適した土地であるのか疑問に思う。人間の暮らしも均されてきたのか ワタリの途中 羽を休める島々と この島の人家との差が少なく 人の顔もなんだか同じに見えてきた。荒れる海や 強風を避け 長い日時を掛けて この地までワタリをするメリットは少なくなった。もっと南の島で 営巣の場を探した方が効率もよく危険も少ないように思える。長い伝統のワタリを 再考するときが近づいているようだ 生命継承のためには


自由詩 二十一世紀を燕が思う Copyright イナエ 2014-03-13 10:38:13
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