南相馬市にて
吉岡ペペロ

東京を車で出発して4時間、常磐道が福島第一原発の手前で封鎖されていたので、その手前の常磐富岡というところで高速をおりました。

高速をおりるとそこは、重機でさらわれた茶色い土肌と、累々(るいるい)と並べ置かれた放射性廃棄物を入れた黒い土(ど)のうの風景でした。
作業員の方々は皆、白い防護服に3Mっぽいマスクを着用していました。
除染作業をしているのは明らかでした。
電光掲示板には2.87マイクロシーベルトの表示。
これは自然界における通常値の60倍の値です。

目的地まであと30分のところまで来たとき、道がバリケードで封鎖されてしまいました。
いちど内陸部に入って山間部を抜けるルートを使い目的地に着いたのは、迂回すること2時間半、出発して8時間後のことでした。
迂回して山間部を越える際、飯舘村を通ったのですが、二週間まえの雪が雪掻きされることもなく積もったままの、ひとっこひとりいない真っ白なゴーストタウンでした。
ひとが住めないとは、こんなにも話しにならないことなのかと思いました。

津波で亡くなられた方々も無念ならば、避難を余儀なくされている方々もまた無念であり不安にちがいありません。
この無念さや不安がなくならないかぎり、震災はなにも終わっていないのです。
仮設住宅が並ぶ敷地には、たくさんの車が駐車されていました。
この車の台数に2とか3とか4を掛けたひとびとが、ここで生活をしています。
そこでは子供たちの心より、大人たちの心のほうが深刻だそうです。
子供たちには学校という発散の場があります。
もう3年が経とうとする仮設住宅での暮らしや、これから先への不安や無力感で、大人たちの心のほうが疲労しているそうです。

震災に遭われた方々の無念や不安や無力感に寄り添うことは無駄なことなのでしょうか。
そんなことよりも身近なところへこそ、もっと心を運ぶべきなのでしょうか。
心を運ぶという行為は、想像するという行為とおなじです。
想像するという行為に、遠いも近いもないはずです。
また想像するという行為が出来ないひとに、遠いも近いもないでしょう。

今回あらためて、ひとと社会について考えました。
ゴーストタウンを見たことで、『そこにひとが暮らし、そこに社会が機能していなければ、復興はない』そう思ったからです。
社会を構成するのは、ひとです。
ひとがいなければ、社会は生まれません。
ひとにはいろんなひとがいます。
合うひと、合わないひと、誠のあるひと、誠のないひと、幸をもたらすひと、幸をもたらさないひと、じつにいろんなひとがいます。
私はこのいろんなひとを、さまざまな理由で、受け容れたり、受け容れなかったり、近づけたり、遠ざけたり、許したり、許さなかったりしています。
いろんなひとがいて、はじめて社会は成り立つのに、私はいろんなひとを、全て受け容れている訳ではないのです。
目的を終え、5時間半かけて東京に戻る道中、ずっとそのことを考えていました。






自由詩 南相馬市にて Copyright 吉岡ペペロ 2014-03-11 09:50:15
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