ぎゅんぎゅんと花々の茎と茎との間を抜けて、背丈よりも低い峠をいくつも越えて、あのランナーはわたし。ふくらはぎ縮み、ふともも縮み、南風燃え上がり、握りこぶしほどの小さな山をいくつも踏んで、森の奥のか細いせせらぎをせき止めればあふれ出す、崖から飛び出して向かい風なら旋回する。筋肉から、骨格から、関節から、神経から、わたしをつくる言葉のすべてがこの地勢に逐一符合して、あの海沿いの道のカーブ、あのトンネル、あの崖の褶曲、朝は昼、夜は星々、球体のみどり、球体のあお、脳はどこまでも膨張し拡散し、いくつか戦いがあって、うっすらとばらばらなあわあわになって、そこから一気に筋肉はぎゅんぎゅん収縮、はじけ、ひきつれ、ひねくれ、こねくりまわし、握り潰した指のすきまをすいすいと泳いでいくメダカたち、その一尾のメダカはわたし。何度も叩きつける靴底の迷路できらきらとひらめくユスリカたち、その一羽のユスリカはわたし。打ち捨てられた漁具の陰をひんやりと潜り抜けて、砂浜からホップ、ステップ、ハマヒルガオ、さらさらと走っていく砂つぶのそのひとつぶひとつぶはあの日々の楽しみ、あの握りこぶしほどの小さな山々はあの日々の悲しみ、あのトンネルへカーブしていく海沿いの道はあの日々の喜び、わたしのあの日々のすべてがこの地勢に逐一符合して、あの崖の地層の白黒の縞々、その縞々が皺立って、つまさきでつっかけて、つんのめって浮き上がり、南風燃え上がり、空青くみどりの球体、朝は昼、夜は星々、そして脳はどこまでも膨張し拡散し、いくつか戦いがあって、ぼんやりとふわふわなあわあわになって、そこから一気に筋肉はぎゅんぎゅん収縮、ホップ、ステップ、ハマカンゾウ、ありがとう筋肉、背丈より低い峠を、一歩よりも細いせせらぎを、袖よりも短いトンネルを、指先よりも細い道を、ほら、あのランナーはわたし、あの皮膚、あの筋肉、あの骨格、深い草むらの下を、湿った苔の下を、きらきらしい砂つぶのすきまを、ありがとう筋肉、南風燃え上がり、ほら、あのランナーはわたし。花々の茎と茎との間を抜けて、海沿いの道のカーブを駆けて、トンネルへ、そしてその先はカーブ。朝から昼、昼から夜。春から夏、夏から秋、どこまでも膨張していき、そこからいくつも事象が欠落していく、あのおそろしい、おそろしいところまで走っていって、そこから全力で戻ってくる。
hotel第二章No32 2013年6月