つまりデートコース、
片野晃司

つまりわたしたち、息詰まる草花たちの体臭と湿度のなかで、街路樹があり、ゆるやかに放物線を描く遊歩道があり、手すりがあり、低く絡みつく視線のなかで、プランターがあり芝生がありベンチがあり、ガラスがありステンレスがありプラスティックがあり、服飾がありアクセサリがあり、敵があり味方があり、もっともなめらかな部分があり、もっともやわらかな部分があり、そして交差する視線、身を隠す薄暗い窪みがあり、食事の予約があり、公共の場所でのセックスはきつく禁じられていましたし、深くキスを交わすことも、みだりに下着を覗かせることすらもできませんでした。そして敵、襲いかかる凶器、つまりわたしたち、死ということについて語り合いながら、いまここでそれを確かめることはできませんでした。つまりわたしたち、沸き立つ内臓の狂乱をひそかに押し隠しながら、放物線を描く遊歩道があり、適切な速度があり、絶え間なく飛び掛り襲いかかる視線があり、切り苛まれるような筋肉の欲情があり、息詰まる草花たちの体臭と湿度、そしてまた襲い掛かる視線、そして磨き込まれ輝かしく地平から立ち上がる凶器たち、つまりそのなかでわたしたち、残された時間について語り合いながら、いまここでそれを確かめることはできませんでした。つまりわたしたち、炎の這い回る遊歩道で爪先を躍らせながら、傾斜していく日差しの角度に赤々と押し潰されていくようでした。つまりわたしたち、そのとき息詰まる草花たちの交尾臭のなかで、燃え上がる街路樹を眺めながらわたしたち、物蔭の薄暗い窪みを探してもそこには必ず先客がいて厳しく追い返されるのでした。つまりわたしたち、正確に計算された露出、正確に計算された色彩、正確に計算された動作、それらがいまこの一瞬のために完全に統制されていなければなりませんでした。ゆるやかに放物線を描く遊歩道があり街路樹があり手すりがあり、プランターがあり芝生がありベンチがあり、転がり落ちる燭台のようにわたしたち、触れるべきわたしたちの部分について語り合いながら、いまここでそれを確かめることはできませんでした。そして視線、服飾がありアクセサリがあり、倒れこんでいく草花たちの体臭のなかで、つまりわたしたち、ようやく日没を迎えるのでした。


Hotel第二章 vol31(2013年1月)


自由詩 つまりデートコース、 Copyright 片野晃司 2014-02-20 06:07:47
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