牧歌
そらの珊瑚
ましろな朝。静かな朝。まだ誰も踏んでいない雪はどこまでも、白い。
「雪とけて 村いっぱいの 子どもかな」小林一茶
雪玉を投げ合う無邪気な子どもたちをみつめるまなざしのなんて優しいこと。
想像するに、冬の間なんとか命をつないできた決して豊かではない山村において子どもは希望だったのだと思う。宝だったのだと思う。春だったのだと思う。
優しい、と、易しい、は とてもよく似ている。
優しさは日本人の血の中に脈々と受け継がれてきたものだし、易しい言葉というものは、一見軽い羽のように見えるが、実は砂金のように心の奥底に沈殿していくものだと思う。現代詩という得体のなさに時に塞がれたようになっていたわたしの心が、今日なぜかこの一句の易しい言葉たどりついた。
現代において「牧歌」は失われてしまったのだろうか。
いいや、わたしはそうは思わない。もちろん本来の意味での牧歌は日本では失われてしまったかもしれない、
家から出ずとも世界の果てまでネットワークでつながった現代においても、実は人の心はそう変わらないのではないか。
ほら、あともう少ししたら子どもたちが公園に集まってくるはす。わらわらと。子どもたちによって踏まれた雪はやがて茶色の泥水になって、土に染み込み、そのゆくえは知りえないものだけど、たぶん私たちは直感で既に知っている。春へつながってゆくことを。
きっと。
春はもうそこまで来ているような気がする。とても寒い朝なのにねえ、雀よ。