あるミュージシャンの話
愛心

歩き続けてもうだいぶ経つ。
目の前で扉が閉まる音がして
思わず立ち止まって振り向いて
気づくんだ。

あれ、あれ、僕は一人ですね。と。
誰もいないよ、誰かいないの?

煙草の吸殻と、掠れたアスファルト。

錆びた匂いは、あの頃のまま。

汚れきった地面に両手ついて 膝をついて
落ちたそれに価値なんてないよ。

僕は君が欲しかったのです。

無垢なんてだいぶ昔の話。
ままごと遊びの延長で、僕は君の家族でした。

汚れたのは僕ですか? 君ですか?
草の匂いも、土の感触も、泥まみれの僕たちはどこですか?

青空もいつか届くものだと
願った彼は、屋上から飛び降りました。
影踏みが好きだった彼女は
夜の町で蝶になりました。
お客様に蜜を与えて、代わりに宝石を手に入れました。

あの頃の僕たちはどこですか?
振り向いたって誰もいなくて

手のひらサイズのディスプレイには、名前だけが連なるもので。
薄っぺらな数百グラムに、思いも言葉も押し込めた。

懐かしいで終わらない。
大人になる覚悟があるのなら、帰っておいで。こっちに。

君の居場所はここでしょう?
僕の居場所もここでしょう?

汚れきったアスファルトの上で
他人の渦の真ん中で歌うよ。
下手なメロディと、震える声で、ただ、ただ、君に届きますように。

愛を歌うよ。君を歌うよ。
どうか少しでも届きますように。

どうか少しでも届きますように。


自由詩 あるミュージシャンの話 Copyright 愛心 2013-12-23 16:59:23
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