穴のあいていない五百円玉に対する私の願い
ichirou

日常生活には様々な違和感が存在している
その違和感は
違和感を感じる当事者以外には
どうでもよいことが多い

このどうでもよいことが
新たな違和感を生み出すことも考えられるが
まず私は
私の中の違和感について語りたい


五百円玉を初めて見たときからの違和感
それは五百円玉に穴があいていないことだ
五という記号を持つ硬貨は
五円玉 五十円玉と歴代穴があいている
なのに
五百円玉には穴があいていない

単純に考えれば
穴をあける製造コストを削減する為なのだろうが
実はそれだけではないと思う

五百円玉には千円玉という
相方がいない
千円玉という相方がいなければ
五百円玉を千円玉と識別する必要がなくなる

つまり
識別という観点で穴の存在価値は否定された
ということだ

私にとって
五という記号を持つ硬貨の穴の意味は
そんなことではない

それは五行思想を
五という記号を持つ硬貨が示していること

万物は
木 火 土 金 水の五種の元素からなる
この5種の元素は
互いに影響し合い
その生滅盛衰によって
天地万物が転化循環する

五の記号を持つ硬貨は
五種の元素の環を現していると思っている
穴があいていないと環にならない

これは私の勝手な妄想だけれど
私の願いなのだ


私は願う
穴があいて環となった
五百円玉の新生を




自由詩 穴のあいていない五百円玉に対する私の願い Copyright ichirou 2013-12-21 23:13:40
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