私のいた場所
番田 


私はこの公園の風景自体のことを、すでにもう飽きていた。最近私はまた原宿に行ってきた。だが、この街自体にすらも私はすでに飽きていた。イチョウが代々木公園の入り口で舞っていて、そこに落ちた葉はすでに腐っていて、臭かった。違う場所へともう、来週は私は行くことにした。ファミコンでも部屋の中でやっていた方が幸せだ。そして風は刺すようにつめたい。もう11月の半ばである。通勤定期の区間内となると、思い当たるけれど行けない場所のほうが多かった。海などもそこでは選択はできないように思われた。もう、昔とは違うのだ。風邪を引けばとても長引くし、薬を、医者も昔のようには出さなくなった。自分の中の需要の方が供給よりもはるかに多い。だが、しかし、もう子供の頃のような時間など私には残されていない。わかりやすい話だ。今は商品を出せば売れるという時代ではない。そしてやはり名の通ったブランドの服を着たいと誰もが思う。服を購入するにしても手に取るとユニクロやGAPが雑だというのがよくわかる。しかしなかなか、百貨店のブランドものは手に入れることができない。ファストファッションははさみをあまり入れない近所の美容師のこなしの仕事のような感じもする。通りを歩けば私は印象に残らない服を着こんだ人たちが歩いているのを見かけた。しかし私にはユニクロを着るしか方法が無い。あまりに、理想とは遠い存在なのだ。そして信号待ちの時誰かが口にした「どこの欧米?」という強烈な言葉を覚えている。店で簡単に手に入れることのできる、外人の履いている綺麗な黄色い靴。信号待ちのとき後ろの誰かが口にした感覚的なその言葉。そして彼氏であるかのように赤いセーターを着て、モデルでもなく恋人でもない女を撮影している男のカメラを思い出す。


散文(批評随筆小説等) 私のいた場所 Copyright 番田  2013-11-12 00:44:24
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