家族の散文
左屋百色

わたしの母は詩をかいていた。

いつもテーブルの上に無造作に置いて
あったのでたまによんでは見たけれど
それはよくわからないものであったよ
うに記憶している。そもそも小学生の
わたしにはよめない漢字もたくさんあ
った。だが今にして思えば母の詩は難
しい漢字や難しいことがかいてあった
のではなく母の日常つまり散歩へ行っ
たら珍しい花が咲いていたとか夕食の
支度をしている時にふと思いついたこ
と洗濯物が揺れているなどがかかれて
いたような気がする。母はいつも明る
い人であったがわたしは子供ながらに
何となく父のいないわたしの人生は好
きなことは何でもやる母のせいのよう
な気がしていた。勝手にそう思い込ん
でいた。父の記憶はない。わたしの2
つ下の弟が生まれてすぐ離婚している
から。母には感謝はしているが好きで
も嫌いでもない。ただどこかですこし
距離をおいていたかもしれない。わた
しは短大を卒業して就職してからひと
り暮らしをはじめた。母は一度だけ泊
まりに来たが母と詩について話したこ
とは一度もない。いや一度くらいはあ
るかもしれないが記憶にない。

母が亡くなった後に聞いたのだが意外
にも弟は母と詩についてよく話しをし
たらしい。わたしは友達や母や弟にも
(しーちゃん)と呼ばれていたのだが弟
が言うには、しーちゃんは詩とか興味
なさそうだからと母がよく言っていた
そうだ。記憶がはっきりしない。わた
しはずっと母に冷たく接していたのだ
ろうか。

母が亡くなってもうすぐ一年経つ。今
わたしは母の詩をよんでいる。そこに
はわたしや弟のこともかいてある。わ
たしは、はじめて自分の詩を母によん
で欲しいと思った。いや、もうずっと
前からそう思っていたのだ。なぜなら
今はっきりとした記憶をひとつ思い出
したから。

わたしが小学5年生の時。

いつも急に部屋に入ってくる母は
(しーちゃん、何やってるの?
そう言ってノートをのぞき込んできた
わたしは慌ててノートを手でかくし
(、、、宿題。
そう一言だけつぶやいた

でもね、お母さん
わたしあの時
詩をかいていたんだよ

お母さんみたいに



自由詩 家族の散文 Copyright 左屋百色 2013-09-21 16:57:21
notebook Home 戻る