はてさて どうでもいい話
佐々宝砂

柴田芳樹というマンガ家がいる。単行本二冊しか出していないマニアックなマンガ家なので、知らなくてもなんら恥ではない(どっちかというと知ってる方がおかしい)。アフタヌーン93年1〜7月号に『れっどまん』を連載し、十年ほど前の週刊少年チャンピオンに短編「魔人タクシー」を掲載、その後同じくチャンピオンに『世紀末大人物伝 ジャイアンツ』と『カーサン』を連載した。決して巧いマンガ家ではない。しかし、紙一重を通り越した超人(要は変態、キチガイ)を描かせたら、この人の右に出る人は少ないと思う。いちばん面白いのは『れっどまん』だろうが、たぶん入手困難。『世紀末大人物伝 ジャイアンツ』は『れっどまん』より入手が楽だと思う。『カーサン』は単行本化されていない。興味がある向きは、作者本人が持ってるHPにあるフリーマンガを読むのが手っ取り早い(だが、雑誌に載ってたのに較べたら凄みに欠ける)。アドレスは→http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Ink/4255/index.htm

で。私が話したいのは、『カーサン』か『世紀末大人物伝 ジャイアンツ』、おそらく『カーサン』にあった挿話だ(単行本がないゆえ記憶をもとに話してる。違っていたらすまん)。真実のマイケル・ジャクソンは白人の女の子だったのだ!というただそれだけの短い話だが、マイケル・ジャクソンに対する視線が奇妙に優しい。黒人の中で黒人少年のようにふるまうよう強制されて、大人になって金持ちになり前よりは自由になったので少しずつ黒いメイクを落とし、白人少女としての本来の自分が持っていた高い鼻とぱっちりした目を取り戻そうとする・・・マイケル・ジャクソンに関する先入観と知識ゼロで読んだら、マイケル・ジャクソンってなんて可哀相な女の子なのかしら、と思いかねないくらいだ。私は読了後、柴田芳樹あなどれん!と思った(それまでは時々あなどっていた。すんません)。

私はマイケル・ジャクソンのファンではない。1980年くらいからリアルタイムで彼の歌を聴いてきたが、"Bad"以降の彼の歌は嫌いだ("Thriller"は最高に大好きだ、ゾンビだし)。マイケル・ジャクソンを弁護する気なんてさらさらない。彼が何をやって何をやってないか、あまり知らないし興味もない。私たちが服を着替えるように彼が顔を着替えるとしても、私は特に気にしない。けれど。現実には黒人成年男性である彼の肉体に宿る精神が、柴田芳樹描くような白人少女だとしたら・・・もしも本当にそうなのだとしたら・・・いや。現実のマイケル・ジャクソンをとりあえず忘れて、黒人成年男性の体に白人少女の精神が宿っていたらどうだろう、と考えてみよう。白人の女の子だという自認がある。にもかかわらず、実際の自分に目をやれば、黒人で、男で、大人で、しかもだんだんと老いてゆく。性別も人種も年齢も、自認と現実が異なる。だが幸運なことに金ならたくさんある。ときたら、整形手術して肌を脱色して若さを取り戻そうとあがくのは当たり前だ。

だが、現時点では、肉体改造には限度がある。あんまりいじりすぎると、本当に顔面が崩壊するかもしれない。全身整形したあげくにフリークスと化した『へルター・スケルター』のりりこを思いだしてほしい。鼻の横に穴が開いた状態で人前に出たマイケル・ジャクソンは、そのまんまりりこである。ひとごとだと思わないでほしい。誰だって「本来の自分」になりたいのである。「本来の自分」と「現実の自分」がどれほどかけ離れているとしても。マイケル・ジャクソンやりりこは、かけ離れ方が極端だっただけなのだ。

まだ続く。


散文(批評随筆小説等) はてさて どうでもいい話 Copyright 佐々宝砂 2005-01-07 03:15:14
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