生かされる事。
ヒヤシンス


あの晩、月は出ていたでしょうか。
風は無かったように感じます。
広い公園の芝の上のベンチに一人腰掛けていたあの晩です。
死が最も私にその身を寄せていたあの晩です。

私はどんな些細な言葉にも敏感でした。
どんな些細な視線にも敏感でした。
そのくせ人々の無遠慮な視線にはお構いなしで、
先をゆくあなた達の自転車を孤独な心でぼんやりと眺めていたのです。

これほどまでに人の心とは昂るものなのか、
これほどまでに人の心とは感情を消す力があるのか、
これほどまでに人の胸とは疼くものなのか、
これほどまでに人間というやつは冷酷になることが出来るのか。

私は私の携帯電話が何度も鳴るのを知っていました。
留守電を聞く余裕すらありました。
あなたの声は泣き声でかすんでいて、何度も私に呼びかけました。
死なないで、死なないで、死なないで。

私はなんと無情な人間だったのでしょう。
人に優しくありたかったのに。
いつでもその人の味方でありたかったのに。
ただ思いやりだけを忘れずに生きてきただけなのに。

後で知ったのですが、今の睡眠薬や精神薬などで人は死ねないようですね。
その時は、そんな事も気にせずに持っていた全ての薬を飲んでしまいましたが。
薬を飲んだ後、私は夜も更けた公園でなぜか安堵の笑いを発して、あの頃常に持ち歩いていた切れの悪いナイフで自分の体をゆっくりと刻みました。

覚えているのはそこまでです。
いつしか私は眠ってしまったようですね。
あなたはその夜ずっと私の親から知り合いまで手当たり次第に連絡してくれたそうですね。ずっと後悔の涙を流しながら。
あなたは少しも悪くないのに、本気になって私を探してくれました。

次の日、私の親友が以前私と話した公園で私を発見したそうですね。
私はベンチから転げ落ち、体中傷だらけだったそうですね。
ぼんやり覚えています。そこにあなたの泣き顔を見ましたよ。
私はその後三日間寝続けたそうですが。

情けない事を思い出してしまいました。
私はみんなに謝ったのでしょうか。
あなたに謝ったのでしょうか。
覚えていないとは、人間とは忌まわしいほどよく出来ていますね。

人間はその生の中で自分の本性と対面するとどうなるのでしょう。
そこにも喜怒哀楽が生まれるのでしょうか。
私は自分の本性を見たのでしょうか。見た気がします。
私は少しも人に優しい人間ではなかったようです。

あの晩、月は出ていたのでしょうか。
私は自分の本性に発狂し、月に吠えたてたのでしょうか。
情けないほど自分の弱さをひけらかしたのでしょうか。
きっと出ていたのでしょうね。
死に後押しされるがままの自分が今こうして生きているのですから。
 
月は全てを見ていて、私を見守ってくれたのでしょうね。
私の体内に死が溶け込まないように。

月はあなたをも見ていたのでしょうね。
あなたの本当の優しさや純粋な心やそれ故私を心配し涙にくれるあなたの美しい姿をも。

私は月とあなた達の事は決して忘れません。
そして新たな未来に向けて生きてゆきます。誰よりも強く生きてゆくのです。


自由詩 生かされる事。 Copyright ヒヤシンス 2013-08-12 02:39:10
notebook Home