アマメ庵

彼は着いてきた

ぼくはあちらこちらへ行く
黒い森に行くときも
白い街に行くときも
彼は着いてきた

彼がいつからついて着たのかわからない
気がついたときには ぼくの少し後ろを歩いていた
なぜ着いてくるのかと問うたら 彼は少し笑った
緑の島に行くとき ぼくは二人分の船賃を払った

いつも後ろをついてきた彼は 船上で初めて横に立った
彼は何も言わなかった
目が合うと 少し笑った
風がコウコウと吹いて ずっと海を見ていた

赤い山に登るとき
彼が着いてこなかった
少し探してみると 彼が足を抑えて蹲っていた
彼は裸足だった
ずんぐりとした足は土に汚れ 血が滲んでいた
ぼくは彼のために消毒液と 新しい運動靴を買った
彼は笑った
そして 彼は泣いた

春も 夏も 秋も 冬も 
ぼくは身勝手に歩き回り
彼は着いてきた
いつしかぼくは 彼にザックを任せた
彼は重たいザックを担いで やっぱり笑った

雨の街道を歩いているとき 急に手首をつかまれ 強く引かれた
ぼくは転んだ
彼も一緒に転んでいた
彼がつまずき とっさに手を掴んだのだった
二人ともずぶ濡れだった
彼が持っていたはずのザックも 水溜りの中に転がっていた

ぼくは 怒った
どうして引っ張ったんだ
一人で転べばいいじゃないか
ザックも着替えも濡れてしまったじゃないか
ぼくは 罵った
だいたい何だって着いてくるんだ
着いてくるのは勝手だが 足を引っ張るな
彼は水溜りに 膝も手も付いて 頭を下げていた

止まらなかった
彼は悪くない 
わかっていても 怒りが収まらなかった
頭を下げる彼の肩を ぼくは蹴った
彼は大きく後ろに倒れた
ぼくはザックを拾い上げる
中から小さな袋を取り出すと 彼に投げつけた
彼のために買った 僅かな着替えが入った袋だった

もう着いてくるんじゃない

言い残すと ぼくは歩き出した
ずっと彼が背負ってくれていたザックは
重たかった

すでにぼくは悔やんでいた
彼は悪くなかった
彼はいつも笑って そして着いて来ただけだった
ぼくは怖かっただけなんだ
雨の中で転んで 痛くて 惨めな気持ちだった
そして彼に対して 怒った
ぼくは 彼に怒っていたんじゃない
彼を支えてやれなかった自分に腹を立てていたんだ
それでも一度でた言葉は 戻らない

ぼくは歩いた
雨は涙を洗った
雨音は 足音を隠した
ぼくが振り返ったとき 彼が着いてきていれば良いと思った
彼が着いてきていることを願った
彼が着いてきていないことが怖くて 振り返ることができなかった
ぼくは歩き続けた

もうあたりが暗くなるころ
ぼくは振り向いた
彼の姿を探した
ぼくのすぐ後ろに 彼はいなかった
しかし 向こうの木の まだ向こうに 彼らしい影が見えた
影は ぼくが振り返ったことに気づいたのか きょろきょろとして道脇に屈んだ

ぼくは 影に向かってザックを差し出した
重たいじゃないか
影は慌てて駆け寄ってきた
どたどた
不恰好な走り方だった
影は 彼だった

彼はぼくのところまで来ると ザックを受け取って
泣いた
重たいじゃないか
ぼくはそう言うと 彼に背を向けた
そうて 泣いた

彼は着いてきた
雨は小降りになっていた



自由詩Copyright アマメ庵 2013-08-09 20:42:32
notebook Home 戻る