日本橋人形町
乾 加津也

日比谷線はいう、秋葉原、小伝馬町、人形町、人形とは「ひとがた」、エレキテルな水平移動の装置から視神経に憑りつく駅名は、脳のどこかの襞裏で痺れ、角砂糖のように崩れ、蟻の行進に流れてゆく、投げ返してくる、一筋とおつた見返り美人の態で、どなたか、どなたか、と柳眉のまなざし、今生の謂れ、(形容しがたく)、ヲタクもAKBも発展途上の未熟の文化で、舞台は平成、上がり框にゆるりと腰かけ、人に似て人ならざるものの遺恨、仕手、浮世を霧噴く熱量は、明け暮れ無縁の東京メトロ、みなぎる胎動、その先に空(ひかり)、アンダーグラウンドで人形は問う、縫い込められた口は開かず、見様見真似で一心不乱にいずこから、次は、人形町、人形町

江戸の干潟は、干拓で町とする、掘割、掘り取る土は両脇に積み上げ埋め立て、奏功の整地、名のあるなしにかかわらず寄席に見世物、繰り芝居の達者は噂であまねく知れ渡り、人形職人、人形手入れ、商人(あきんど)のたまり場は粋でおきゃんで芸もたち、寄ると触ると色恋沙汰の、飛脚のごとく年記も暮れ、た


月夜は鈴虫、甘酒屋横丁、提灯かすむ尾張屋のあたり薄くほろ酔いひとがたもちらほら、肩幅隣のうつむき加減にため息漏れて、細く立てた指先ワイシヤツの後身頃をなぞつたら、ほの字の一幕、はじまり、はじまり















(参考)人形町商店街協同組合のウェブサイト、など


自由詩 日本橋人形町 Copyright 乾 加津也 2013-06-28 20:17:22
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