死刑決定
秋也

死刑だ
間違いない死刑だ
彼は死刑だ
人殺し
危ない奴
情状酌量の余地なし
何人殺した
ふてぶてしい
生きるな
お前は許さない
死刑
死刑
死刑
しゃべるな
しゃべれ
反省しろ
狂え
狂うな
フリだろ
死刑
生かすな
決して生かすな
生かしてはおけないと思って
死刑
文句なし
事実が知りたいんです
これでいいのか
死刑だ
とりあえず死刑が先
死刑にしてからだな
ここは死刑ということで隠して
面会拒否
マスターベーション
差し入れ禁止
脱糞
失禁
紙オムツ
責任能力
加害者
被害者
人権
歴史
凶悪
普通
死刑
死刑
死刑
「これさあ何の裁判」
「昔、ヤバイもの撒いたヤツらしい」
「へー」
「人とか死んだの」
「多分」
「あ、じゃあ死刑だ」
「よくわかんないけどね」
「でもそれで合っているんじゃん」
よし死刑
確定
かっくてい
おし完璧死刑いった
死刑
異論はあっても
死刑妥当

<A3という本を読みました。すべてを信じたわけではありません。ただとても考えさせられることがたくさん書いてありました。私的に人と社会は裁判に何を求めるかというのがテーマだと感じました。真実の公表、加害者への罰、更生、被害者遺族の救済、両者の人権、アフターケアetc 全てを網羅した司法システムを確立するのは多分不可能です。となるとどこに重きを置くかになるわけで、その具合はその時の社会の風当たりや色合いから5歩〜10歩遅れたぐらいになると思います。私は死刑推進派ではないですが、現状しばらくは死刑という刑があってもいいと思います。ただ裁判というのは、せめて裏技というモノがあまり存在せず、被害者や遺族の許せない気持ちを十分に配慮した上で真実を知れる可能性がある場であって欲しいと思っています。弁護人が軽い量刑を得るため真実とはかけ離れたあらゆる手段を使い、そうはさせじと検察が最も重い刑を確定させるため加害者の敵となりありとあらゆる手段を使う。社会の動向と法律、判例、証拠、弁護人と検事の双方の裁判テクニック、全てを吟味し裁判所の判決。3者全てあまりにも違う気がします。大きい事件程、この傾向が強くなっている気がします。と同時に、真実はすごく残酷で難解で被害者や遺族にはどんな形であれ短い時間では到底受け入れられないというのも間違いのない現実だと思います。あとは裁判に社会やその時の権力者が何を求めるのかなんだと思います。ただ人が「みんな」で現代社会を営む上で、人が人を殺すのはなぜいけないのか?それは状況法律哲学道徳死刑反対賛成うんぬんの前に基本「殺しちゃ駄目だからだよ」という前提が多くの人の主観に根付いていて、大筋の客観となり、当たり前のものとして在ると考えています。この「人が人を殺しては駄目」と同じように、色んな物事を議論する前に、議論であらゆる可能性を吟味するとしても、「ここはこうでしょ?」という外せないモノってあると思うんです。上手く例えられないんですけど、ガガ様が生肉のドレスを着る。彼女が着れば素敵かもしれない。反対意見、賛成意見、許容、拒否、無関心、それを置いといて。でも大元の基本は「生肉は服にしないまとわない」だよねと。そこはとりあえず変わらないよね?と言っているわけです。今の日本の裁判は、ガガ様の生肉ドレスのように具体的には言えないのが痛いんですが、裁判というのは、、、という大元の基本からあまりに外れたことをしている気がします。そして大衆も権力者も当事者もその基本を外れることについては良しとは言ってない気もします。だから誰にとっても救われない事が多く、納得のしにくいモノになる事が多すぎる気がします。最後にもう一度だけ、私は死刑反対論者ではありません。皆さんはどう思われますか?というところで一度締めたいと思います。

こんな事を考えて眠れなくなり、何か書きたくなりこの詩を書きました。

最後になりますが、この投稿を読んでムカつくほど不愉快になられた真面目で優しい方や事件の被害者遺族の方いましたら申し訳ありません。その気持ちには心から謝罪いたします。

実力不足と文章制作欲が抑えられず、長々とつまらない解説入れたこともお詫びいたします。>




自由詩 死刑決定 Copyright 秋也 2013-05-26 02:50:16
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