殺意の夏
平瀬たかのり

 駅裏路地の喫茶店 
 奥の席でわたしが
 そっと開く小さなノート

 八月昼下り
 お店の外、炎天下
 陽炎がゆら、ゆらり
 でもここは
 寒すぎない冷房
 照明は月明かりの夜みたい
 オルゴールのモーツァルト
 髭のマスターは無口で
 ウェイトレスはかわいくちょこんと
 ああ お休みのわたしは
 わたしだけの時間をたゆたう

 天気予報は夕方にひと雨
 それまではここにいよう
 きっと涼しくなった街を
 買ったばかりの傘をさして帰ろう

 静かにカップを持ち上げれば
 柔らかな香ばしさが
 鼻をくすぐって
 大好きなブルマンをひとくち
 それからわたしはペンをとる
 そして ただ心のままに

  三日月にぶらさがったフェアリー
  ねぇ そんなところで遊んでいないで
  わたしの部屋にやってきて
  ほら 流れ星にまたがったお友だちが見えるわ
  お願い 二人で伝えに行って
  あの人のもとへ
  わたしのこの想いを……

 うふふ
 さあ ここからどうしようかしら
 うふふふふ

   カランコロンカラン

 うわぁっ すずしっ 涼しわぁ この世の極楽やぁ
 しかし何や薄暗い店やなこれ 辛気くさぁ
 えーっとイマデガワはんわいなあ
 あぁあぁ居てはった居てはった
 えろう遅れてしもうてすんまへんすんまへん
 どないでっか景気の方は
 いやいやいやあきまへんあきまへん
 もう青息吐息ですわうちなんか
 イマデガワはんとこみたいな大きな会社と違いまっさかいなあ
 目の先三寸も見えしませんわ
 お国に零細企業救援法てな法律作ってもらわんことにはお先真っ暗ですわぁ
 しかし何やいなこの店 おしぼりも持って来ぃひんのかいな
 あ 来た来た そうそうお待たせやでぇオネエちゃん 
 トロいのは牛でもするでぇ
    パンッ
 いやぁ暑い
 ほんまに暑いわ今年の夏は
 ねぇイマデガワはん
 ちょっと失礼しまっせ
    グシッグシッグシッグシッ
 あーチべとうて気持ちええわあ
 オネェちゃんすまんけどおしぼりもう一本持ってきてんか
 はいはい なんどもすんまへんなオネェちゃん
    パンッ
 いやぁ駅からここまで歩いて来るだけで首から胸から汗でズクズクですわぁ
 またこれちょっと失礼しまっせ
    ゴグシュグシュッゴシュッゴグシュシュッ
 あーチべとうてほんまに気持ちええわぁ
 あ、おひやいただきまっせ のどカラカラですねん
    ングッングッングッングググッ
 ふはぁっ 生き返りまんなこら
 しかしこれもうちょっと冷房強ぅしてもエエのんとちゃいまっかイマデガワ   
  はん
 ねぇ 入ったときは涼しい思うたけど慣れたら何や頼りないですわ
 マスター! ちょっとマスター!
 もうちょい冷房キツうしてんか
 そうそう強ぅして 弱ぁしたらアカンがな
 ほんま夏の喫茶店がぬるこいような冷房でどないすんねんな
 髭の手入れするヒマあるんやったらギンギンに冷房きかせとけっちゅうねん
 ねぇイマデガワはん
 え 何ご注文? うーんそやなあ アンタもらおかオネェちゃん
 ゲヒャヒャヒャヒャヒャ
 セクハラ言いまんのかこういうの ねぇイマデガワはん
 冷コーや冷コー 一億万年前から決まったぁるねん
 夏はレイコー かわいいあの子の名前はレイコ ちゅてな
 ゲヒャヒャヒャヒャヒャ
 オネェちゃんここ笑うとこやで ねぇイマデガワはん
 何ミルクいるかやて?
 えー うむ ごほん それはあれかオネェちゃん
 あんたのお乳か
 ゲヒャヒャヒャヒャヒャ
 やっぱしセクハラ言いまんのかこういうの
 ねぇイマデガワはん
 ゲヒャヒャヒャヒャヒャ
 ゲヒャヒャヒャヒャヒャ


 死ね 死ね 死ねぇっ!
 イマデガワもついでに死んどけぇっ!

 (中島らも「ビジネスナンセンス辞典」『下品』の項より着想いたしました


自由詩 殺意の夏 Copyright 平瀬たかのり 2013-05-07 08:39:46
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