三十万分の一の確率に勝った話
フゥ

最近よく父のことを思い出す。私が現状、ときにしんどいこともあり、でも楽しいことも沢山あり、負けたくないと思うからかもしれない。


このままではおそらく病死、あと一年もつかもわからない父に、私の骨髄をあげたかった。もうそれしか方法は無い。
骨髄移植の適合率は、兄弟なら四分の一だが、親子間では恐ろしく低いらしい。一%にも満たない。ほぼゼロ。具体的には、三十万分の一の確率だと、白い小さな部屋で、医者から聞かされた。壁のホワイトボードには半透明のレントゲン写真が貼ってあり、よくわからない記号のような文字がカルテに綴られている。彼の座った低い丸椅子が、四十五度回転して私の方を向く。血液検査を受けるには三万円かかりますが、どうなされますか。

受けると即答した。部屋を出たあと、母やほかの人たちはどうしたものかと困ったような顔で言った。
「気持ちは嬉しいけど、これじゃ無理だよ、検査するだけで三万円も掛かるんだし、病院は平日やってないし、また来ないとで仕事もあるからいいよ」「気持ちだけでいいよ、絶対無理だよ…」

私への気遣いで言ってくれたことも、それが現実論であることも理解している。それでも。私は自分の主張を無理矢理押し通した。後日再び会社を休んで片道四時間電車を乗り継ぎ、実家近くの父の病院に出向き検査を受けた。
一週間後。電話がかかってきた。

適合。

まず有り得ない出来事だと医者が言った。脈々と続く歴史の何処かで父と母が血縁関係かつ、その二人の遺伝子組み合わせパターンでなければ起こらない。奇跡的だと。
私は、三十万分の一の確率に勝ったのだ。


比喩ではなく死ぬほど苦しいだろう状態で、絶対に大丈夫だと信じて最後まで自分からは諦めず、父は病と戦った。

そして、入院して三年目の春、彼は死亡した。
体力が回復せず、移植手術が受けられなかったのだ。

最後に書いた直筆のメモは、チラシの裏。家電量販店のカラフルな広告の、つるりとした白い裏面にボールペンで書かれていた。内容は、家の廊下の電球を取り替えるときはこれを使うんだよって説明。震える手で時間を掛けて書いたのだろう。少しずつ大きさがバラバラで、ミミズが這ったような、それでも丁寧に一文字ずつ書かれた文章だった。

移植手術は行えなかった。彼は病気により死亡した。
結論だけ見れば、負けかもしれない。


ねぇ、それでも私は、私たちは、三十万分の一の確率に勝ったんだよ。


散文(批評随筆小説等) 三十万分の一の確率に勝った話 Copyright フゥ 2013-04-23 21:26:37
notebook Home 戻る