彼と彼女の買い物
石田とわ





それは年明け早々のことだった。
このときほど彼と彼女に驚かされた事はない。

お正月も三が日が過ぎて、ようやくいつもの生活に戻り始めた日曜日。
彼女も仕事が休みで三人揃っての休日となった。
        
「買い出し行かない?」
布団の中でもぞもぞ動く彼女に声をかける。
「いってらっしゃい」
くぐもった声と布団の端から手をひらひらさせる、
それが彼女の返事だ。
私はしばらくそこへじっと立ちつくす。
これって変じゃない?
だって私はこの家の主婦じゃない。

彼にその事を訴えてみる。
「行きたくないなら、やめなさい。行ってくるからいいよ」
憤るわたしに優しく彼は言う。
いや、そうじゃないのだ。
買い物に行くのが嫌なわけではなく・・・。
出かかった言葉を飲み込む。
彼は彼女に主婦を求めてはいない。
言っても無駄なのだ。

そうしていつも通りに彼と出かけるわたしであった。


買い物から帰ると彼女もようやく起きだしたらしく
ソファでコーヒー片手に新聞広告を広げていた。
          
「おかえりなさい」
彼女はそう言って顔をあげるとまた広告をじっと見つめる。

「なにかいいものでも出てるの」
彼女が広告を見ること事態めずらしい。
買い物に行かない彼女はほとんど広告を見ない。
見る必要がないのだ。

「ねぇ、これよくない」
それはわたしへの返事と言うより、彼への投げかけだった。
彼女はそう言いながら広告を高くあげて、彼に見せようとする。
              
彼は丁寧に食材を冷蔵庫に詰めながら、ちらっと彼女の
しめす広告をみる。

「朝、見たよ」
「すごくいいと思う」

「買うか」
「ほんと!?お昼食べながら買いに行きたい」

ちょっと待って。
彼女が持ってるのはどう見てもマンションの広告で・・・

「父さん、あれマンションの広告だよ」
「駅から近いんだ。通学も今より楽になるよ」
              
わたしには信じられなかった。
家ってそんなに簡単に買うものなの。
              
「だって父さんずっと借家でいいって言ってたじゃない」
そう、彼はずっと家は持たないと言っていたのだ。
              
「実はあの広告前にも入っていたんだ。その時もいいと思ったんだが
言いだされなかったら買う気にはならなかったろうな」

そうなると話は早い。
いつもはのんびりの彼女がいつの間にか支度をして待っている。

モデルルームには何組も見に来ており、まだ完成していない
マンションのこまかな説明があちこちから聞こえる。

彼と彼女の担当はまだ入社したばかりでと言いしどろもどろながらも
懸命に説明をしている。

不思議な気がする。
彼女は洋服でもなんでもよく衝動買いをする。
けれど、彼は決して衝動買いなんかしない。
ましてや家、マンションなのだ。
あきたから引っ越すというわけにはいかないのだ。
広告を一枚見ただけでこんなに簡単に決めてしまっていいものだろうか。
              
「縁があったんだろ」
あとから彼はわたしにこう言った。

あれよあれよと若い担当者が驚くべきスピードで話は進み
我が家はマンションの12階を仮契約した。

その日のお昼はいつもの蕎麦屋に行ったのだがはじめて
蕎麦ではなく「親子丼」を頼んだ。

彼女は浮かれて「上天ざるそば」を頼み、彼に明日手付金を払ってきてと
エビを咥えながら話をする。
彼は「もり」をさかなに杯を傾け、彼女の話に黙って頷く。


親子丼をつつきながら今年は忙しくなりそうだなと
彼と彼女の買い物に小さなため息をつく。
              




             



散文(批評随筆小説等) 彼と彼女の買い物 Copyright 石田とわ 2013-04-15 23:31:24
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