彼と彼女とワインの夜
石田とわ




その日は珍しく彼女の帰りが早かった。
「何食べたい?」
帰って真っ先に冷蔵庫を覗くなりそうわたしに問いかける。
           
頭をめぐらせ冷蔵庫にありそうな食材でなおかつ彼女の得意料理を考える。
「揚げ出し豆腐はどう?」
中華風の揚げ出し豆腐はお豆腐と調味料、あとはしし唐があれば
少しの手間でおいしくできる。
彼女がこんな風に自分から料理をするときは必ず手をかけたものを
つくりたがるのだ。


彼女は嬉しいことと嫌なことがあると自分から料理をつくる。
          

キッチンに置かれた袋には仕事帰りに寄ったと見られる酒屋の名前が見え
ワインのボトルが顔をのぞかせている。
       
「ただいま」
彼は帰るとキッチンへ立つ彼女にいつもと同じ笑顔を向ける。
着替えるとそのままリビングへ行き、先ずは夕刊に目を通す。
           
彼は淡々としている。

彼女が料理をつくっても、つくらなくてもその態度も言葉も変わらない。
今夜のように自分からキッチンに立つ彼女に「めずらしいね」などとは
言わないのだ。

「おかえりなさい」
黙々と料理をつくる彼女は碌に彼のほうを見ようともしない。
彼女のそんな姿やカウンターに置かれたワインをみれば
なにか嫌なことがあったのだろうとわたしでも想像できる。
彼女はわかりやすい性格をしている。

彼はそんな彼女を見て見ぬふりをする。


大人というのはわからない。

わたしは学校であったあれこれを、おもに部活の話や友達のことを
「彼氏」に話して聞かせる。
彼はわたしより学年がひとつ上なのだ、話さないとわからないことが
たくさんあるし、聞いて欲しいことが山ほどある。
会って話せなければ、メールやときには長電話をする。
もちろん彼の話を聞くのも大好きだ。

なぜ彼女は彼に今日こんなことがあったのと言わないのだろう。
なぜ彼はめずらしく料理する彼女に何かあったのか?と聞かないのだろう。
大人はみんなこうなのだろうか。
いつかわたしもそうなるのだろうか。   

    
夕食の献立は「揚げ出し豆腐」と「水菜のサラダ」「きのこのホイル焼き」
どれも彼女が好んでつくるものばかりだ。
食卓につくと彼女はさっそくワインを開け始める。
うちでは彼と彼女はめったに「ご飯」を食べない。
おかずをつまみに「晩酌」をするのだ。
いつもは焼酎をふたりで飲む。
今夜のように彼女がワインのときも彼の「焼酎」は変わらない。
わたしは「ご飯」を食べながら三人三様の食卓を眺める。

彼女はこっくりとした色のワインをまるで水のように
早いペースであけていく。

いつの間にか読みかけの本を置き、年末の大掃除や食材の買い出しを
いつするかなどの話をしはじめる。
彼は本読みながら耳を傾け、彼女の休みを確認する。

「ほんとに大掃除やるの?去年もそんなこと言ってなかったっけ?」
だんだんテンションが高くなる彼女にそう言って、彼を見る。
去年もその前も大掃除や買い出しは彼とわたしでやったのだ。
           
「今年はやるって。買い出しもちゃんと起きるから一緒に連れて行って」
はしゃぐように彼女は言う。
           
「母さん起こすの大変なんだもん。へたに起こすと怒るし、ね。」
わたしは彼女の「から元気」ぶりに合わせながら話をする。
       
それから彼女はさらに饒舌になり、つくりもしないおせちやお雑煮に
ついてあれこれを語り、今年は自分もおせちをつくると息巻いてみせる。
話はどんどん大きくなりそれに合わせワインはどんどん吸収されていき
あっという間に一本空いてしまった。
それが合図であるかのように彼女は急に無口になる。
           
「ごちそうさま」
そういって席をたつと今度は「ジン」を持ってソファに座り
彼が本を読む姿を離れたところから眺め、静かにそしてゆっくりと
グラスを傾ける。

しばらく彼と最近のスーパー事情と年末の買い出しはどこに行くかなどを
話し、ふと彼女をみると案の定寝てしまっている。
声をかけ起こそうとする前に「疲れたんだろう、寝かせておきなさい」
と声がかかる。
そのまま何も言わず立ち上がり寝室から毛布を持ってくると、そっと
彼女にきせかけ、また同じように本に目を戻す彼。

「なにかあったのかな」
小さな寝息をたてる顔は化粧が落ち、目のまわりが黒くなっている。
今夜のように他愛のない話ではしゃぐのはたいていなにかあった時なのだ。
           
「生きてればいろいろあるさ」
「なにがあったのか気にならないの?」
そう言うわたしを静かにみつめ微笑む。
「聞いて欲しいことがあれば話すだろう」

「そうだけど」
たしかに彼の言う通りなのだが何か腑に落ちない。
           
誰かに優しくしてもらいたいときだってあるはずだ。
何も言わなくても「どうした?」と聞いて欲しいときだって。
そう思ったが彼には言えなかった。
誰よりも彼女を愛して、心配しているのは彼だから。

その夜は彼と彼女を残したまま、後片付けもせず部屋に戻った。


次の日の朝、彼女は例によって「なんで起こしてくれなかったの」と
慌てて起きてくる。      
いつもの元気な彼女だ。
「もう、お風呂にはいって寝るように」って言ってくれればよかったのに
シャワーを浴びに浴室へ駆け込むそんな彼女の言葉には彼は耳もかさずに
知らん顔している。

いつもと変わらない朝。
いつもと変わらない彼と彼女。

夕べ結局彼女に何があったのかは分からずじまいだ。

           
でもこうやって変わらない朝を迎えてみると、聞かなくてもいいことって
あるのかなと思う。

夕べあった出来事を今度、「彼」に話してみよう。
彼はなんて言うだろう。

トーストを齧りながらぼんやりと考えるわたしにいつの間にでたのか
「いってきます」の彼女の弾む声がかかる。
         
振り向くともうすでに彼女の姿はない。
           
慌ただしいいつもの彼女に笑いがこみ上げる。

















散文(批評随筆小説等) 彼と彼女とワインの夜 Copyright 石田とわ 2013-04-11 02:29:29
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