彼と彼女の無口な食卓
石田とわ

もうすぐ年末だというのに、大掃除もせず日の当たるベッドで
丸まっている彼女は来年41になる。
わたしの年齢の2倍より多く、3倍には満たない想像のつかない歳である。

彼女の夫はさらに15歳年上で世の中では「おやじくさい」と
忌み嫌われたりもする。
けれど彼女の夫、そうわたしの父には「おやじくささ」がない。
それは彼が「飯」だの「風呂」だの疲れたおやじのような事を言わないせいで
子供は勉強して当たり前、門限は必要などと考えないせいである。
       
彼は淡々と生きている。

仕事が終わって家に帰り、母の帰りが遅ければ何も言わずに家族の食事をつくる。
(彼がつくる夕食はなんでも早くておいしいのだ)
       
彼が夕食をつくるのは週に5回は下らないだろう。
そう彼女は家事が嫌いだ。
見ていると彼女はどうやら仕事にかこつけて、夕食ができた頃を見計らって
帰ってきている節がある。
食卓にお皿が並ぶのと同時に玄関から「ただいま」の声がするのだ。
いつでも彼は「おかえり」と静かに微笑む。

わたしだったらこんな奥さんはぜったいに嫌だし、なりたくもないけれど
うらやましいなとたまに思う。
彼は一度たりとも文句を言ったことがないのだ。

うちの食卓はいつも静かだ。
まずテレビをつけない、というかテレビがわたしの部屋にしかないのだ。
リビングにあったテレビが壊れてから彼女と彼は「なくてもいいね」と
あっさりテレビのない生活に切り替えた。
文句を言う私には小型テレビを買ってくれたけど。

彼女たちは本の虫、活字中毒者だ。
ゆっくりと食事をしながら本を読むのが最高の幸せだと思っている。
わたしが中学になってから、食事中に本を読むようになった。
聞けば小学生の頃は我慢していたのだそうだ。
お行儀わるいよと言うと、「あともう少しだけ」と彼女はいい、
彼は「そうだな」と笑う。
       
知らず知らずのうちにわたしは学校で起きたあれこれを
彼女たちに語って聞かせている。
そうしないと彼女と彼を本の世界から引きずりだせないから。

二人は違う本を読みながら時々目で合図する。
「どうだ?」彼は聞き、にやりと彼女は笑う。
いつもこの瞬間自分がお邪魔虫のような気がするのだ。
ちらっと彼女が読んでる本の題名を覗き見る。
       
あー、これでまたあの本を読む羽目になってしまった。
       
彼女と彼の世界、そこに私もいるのだけれどもっと入り込みたくなると
どちらかが読み終えた本を手に取る。
もっぱら彼女が読んだ本ばかりだけど。
なぜって彼が読む本は難しくてわからないことが多いから。
彼にそう言ったらわからないことはわからないままにしておけばいい
いつか自然とわかる時がくると
わかるようなわからないような事を言われた。
それ以来無理して難しい本を読もうとは思わなくなった。
いつか彼が言う「わかるとき」のためにとっておくのだ。

娘の話に相槌をうち、本を読み、彼が作った料理をおいしいと無邪気に
食べる彼女は世界一のしあわせ者だと思う。

そしてそんな二人に育てられたわたしも。


「ねぇ、そろそろ起きたら?もう2時になるよ」
       
いい加減彼女を起こさないといつまでも寝ている。
ごそごそと起き出し、猫のように気持ちよさげにのびをする。 
きっとそのうちこう言いだすのだ。
       
「ねぇ、せっかくの休みだし今夜は外食にしない?」と。
こうやって家事が嫌いな彼女の休日はたいてい外食になる。



彼は「いいね」とただ笑うだろう。













散文(批評随筆小説等) 彼と彼女の無口な食卓 Copyright 石田とわ 2013-04-05 04:54:24
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